一風変わった形、作りの「B級ラジオ」を見る ラジオには様々な思い出が

 ラジオには、いろいろな思い出があります。1970年代の中、高校生の頃は、寝不足も気にせず、深夜放送を夢中で聴きました。地方に住んでいたため、大 都会の東京から発信される情報には心を躍らせたものです。1990年代、海外に赴任した時は、短波受信ラジオを抱え、周波数を必死に合わせながら、英国 BBCなどを聴きました。B級ラジオ?

 そんな言葉を聞いて、早速、B級ラジオが展示された会に行ってきました。B級ラジオとは、一風、形や作りが変ったものです。展示会は、東京・浜松町の文化放送12階ホールで開かれていました。

 「小学生の頃、はじめてゲルマニウムラジオを自作し、そこから蚊の鳴くような音声が聞こえてきたときの感激が、その後の人生を決定付けました。情報が少な かった時代でしたから、ラジオから流れる情報や音楽はとても大切なもので、大人にとっても子供にとっても、自分の知らない世界のことを覗くことができる 『世界に開かれた窓』でした」

 今回、自らのコレクションから約70点のB級ラジオを展示した塚原英成さん(62)は、こう、ラジオの思い出を語っています。私と同じような思いです。

 ピアノの形状した小型ラジオがありました。ラジオだけでなく、ピアノも楽しめるものです。ただ、鍵盤が10で、音階が10しかないため、「『ネコ踏んじゃった』」も弾けないのが、かなり辛い」とウイットに富んだ塚原さんの説明が付いています。

 オープンリールのテープレコーダー型のラジオ、ヘアドライヤー型ラジオ、バーベル型ラジオ、カップ麺ラジオなどもありました。見るだけで、楽しくなります。

 「ラジオの全盛期である昭和30年代、テレビはまだまだ贅沢品であった。カラーテレビに至っては高嶺の花!庶民はなかなか手が出せなかった。ラジオがテレビに憧れ、自らをこのように変身させなければならなかった事情も理解できる」

 テレビ型ラジオについての説明も、ラジオの位置付けや昭和30年代の時代をとらえていて、うなずかされます。

 今は、アプリもあり、海外のラジオも良好な音質で聴くことができます。野球などをスタンド観戦しながら、アプリでラジオを聴くと、数秒の誤差がありますが、ご愛敬でしょう。

 ラジオを通じて、世界の移り変わりを考える。展示会は、そんな貴重なひとときになりました。