見送り坂、見返り坂(東京・本郷)の由来は? 歩いて坂道の多かった江戸の町を実感!

 東京・本郷通り(文京区本郷4丁目)を歩くと、街の一角に、「別れの橋跡・見送り坂と見返り坂」という案内板があります。見送り坂、見返り坂の由来はどうなっているのでしょうか。見送り坂、見返り坂を歩いて坂道の多かった江戸の町を実感しましょう。

見送り坂、見返り坂(本郷4丁目)の由来は?

 江戸時代、罪人などが、ここにあった橋から、江戸を追われたのが見送り坂、見返り坂の由来になったとされています。

 橋の南側にあった坂から、親類縁者が見送ったので、「見送り坂」

 追放された人々が振り返りながら去ったため、「見返り坂」

 と呼ばれたといいます。

 この地で、江戸の人々が家族や友人など親しい人々と別れを惜しんだのだそうです。別れをめぐって、人々のさまざまな思いが交錯したことでしょう。

 今は本郷通りがあるだけで、橋はありませんが、江戸時代は、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ近くの菊坂の谷に注いでいたそうです。

 「勧業場本郷館(現文京センター)の辺は、地層やや低く、弓形にへこみを卯す、其くぼめる所、一条の小渠、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」

 「新撰東京名所国会」(明治40年刊)には、見送り坂、見返り坂がこう書かれています。

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見送り坂、見返り坂が江戸の町の最北端

 見送り坂、見返り坂の跡地に立ってみますと、これらの坂が江戸の町の最北端であったこともわかります。今の東京の規模からすれば、江戸の町は小さかったということです。

 調べてみると、江戸の町は、

 虎の門
 赤坂
 四谷
 市ヶ谷
 牛込
 小石川
 水道橋
 昌平橋

 などを結ぶ外堀で囲まれていました。地図を見ながら、外堀を線で結んでみると、江戸の町の大きさがわかります。

 江戸の町との境界線が本郷にもありました。

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歩いて坂道の多かった江戸の町を実感!

 「江戸を楽しむ」(今野信雄著)によると、江戸には、

 本郷台地
 白山台地
 小石川台地
 赤坂台地

 などがあったことから、坂道も多くありました。一番多かった坂道の名は、富士山を望めた「富士見坂」(18か所)でした。

 2位以下の順位は下のようになっています。

 2位 切り通しや新開発で人工的につくった「新坂」   17か所
 3位 生い茂る森の中に作ったため昼なお暗い「暗闇坂」 14か所
 4位 さらに薄暗くてなんとなく気持ち悪い「幽霊坂」  13か所
 
 このほかにも、稲荷坂や地蔵坂、ゴミ坂などもありました。

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まとめ 

 
 見送り坂、見返り坂の跡地や、富士見坂など、今も残っている一部の坂を訪れてみるといいでしょう。じっくり歩くと、江戸を感じることができます。新たな発見を楽しみに、今の東京を歩くと楽しいでしょう。

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