東京・大田区の「馬込文士村」に行く 今回は、和辻哲郎邸跡を訪ねる

「馬込文士村」の地図を見るたびに、住んだ文士の多さに驚かされます。東京・大田区の山王、馬込、中央地域には、大正末から昭和にかけて、川端康成、北原白秋、倉田百三、山本有三、尾崎士郎、宇野千代、室尾犀星、萩原朔太郎ら小説家や詩人、劇作家ら多くの文士が住んで、創作活動を行いました。地図で数えると、70人ほどになるでしょうか。日々、執筆に専念するとともに、時に、他の文士と交流して、創作意欲を高める。そんな構図が想像できます。

先月も、この文士村を訪れましたが、今回は、JR大森駅を下車、池上通りを北上し、少し西方向に入った所にある和辻哲郎(1889年ー1960年)邸跡に行きました。「古寺巡礼」や「風土」、「ニーチェ研究」などで知られる哲学者・倫理学者・文化史家です。和辻は兵庫県出身ですが、東京帝国大学で哲学を学んだ後、明治45年(1912年)に結婚し、新居を山王に定めました。

「20坪の新築の貸家で、同じようなのが3軒並んでいる真中の家だった。家賃は21円だった。低い天井からは屋根の焼けがつたわって、昼は勿論、夜もほとぼりで部屋の中は蒸し風呂のようだった」

夫人の照さんは、著書「和辻哲郎とともに」で、こう書いています。現在は、住宅街ですが、当時は、畑や林が多く、和辻哲郎は執筆に疲れると、夫人と一帯を散策し、「ローレライ」などを口ずさんだといいます。この時期は、ドイツの哲学者ニーチェの著作を読み込み、初の著作となる「ニーチェの研究」を執筆しました。

ここには大正4年(1915年)まで住み、夏目漱石や谷崎潤一郎、小山内薫、芥川龍之介らと交流しました。

私は、和辻哲郎が奈良の寺院を巡って書いた「古寺巡礼」を読んだことはありますが、内容はよく覚えていません。「ニーチェの研究」「風土」とともに読み、日本と西洋の哲学を融合したといわれる和辻哲学を学びたいと思います。和辻哲郎が住んだ場所を体感したことで、きっと、本の内容も身近に感じることができると思います。

作家や詩人らの住んだ場所を訪れ、その著作を読む。馬込文士村をまた、訪れるのが楽しみになります。

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和辻哲郎邸跡