坐禅が「静の修行」だとすれば、掃除は「動の修行」――。禅寺住職の枡野俊明さんが著書「片付ける 禅の作法」でこう書いているのを読んで、心を磨くための掃除を行っています。長年の会社人生でたまったモノがたくさんあり、時々、妻に叱られますが、掃除をすると、落ち着いて暮らすことができます。
枡野さんは、約3か月、約100日、掃除を続け、習慣にすることを提唱しています。ぜひ、掃除による「動の修行」を行ってみてはいかがでしょうか。
「掃除や片づけができない人ほど、今後大きく変わる可能性を秘めています。望む方へと変化していく喜びがあります」
「禅では、日々の生活を通して身心を整え、負の状況をプラスに転じることの重要性を説いています。その中でも片づけと掃除は、マイナスをプラスへと転じる ための大切な要素です。身のまわりをきちんと整えることによって、心も整い、ひいては人生も整っていく。禅ではこのように考えるのです」
枡野さんがこう書いている個所だけを読むだけでも、片づけや掃除が大きな意味を持っていることがわかります。
本を読み進めると、心に響いてくることばかりです。重要な部分や面白い箇所に貼り付けるポスト・イットでいっぱいです。いくつか抜き書きすると―。
掃除とは、「心を磨く」こと
雲水(修行僧)たちは、廊下を鏡のように光らせる
きれいな部屋をあたりまえにする
雑然とした部屋では、心も雑音に蝕まれる 雑音とは執着心や妄想、迷いのこと
「空の空間」で季節の移ろいを楽しむ
掃除道具は、シンプルな物で十分 ほうき、はたき、雑巾で
自分を律すると、顔つきが変わってくる
あなたが掃除する姿が、家族を変える
朝の掃除で、一日をさわやかに始められる
書斎は、まず机の上から片づける
暮らしが変れば、生き方が変わる
片づけると運が上がるのは、当たり前のこと
きれいな空間で「坐禅」を組む
まず、要らないものを捨てる前に、別の何かに「見立てる」というステップです。ものを捨てるのは「最後の最後」で、何か他のものに使えないか考えるということです。
ふちの欠けたグラスでは水は飲めませんが、花びんとして立派に使えま す。古い衣装もクッションカバーやバッグとして使えることを枡野さんは例にあげています。
私の場合も、会社人生の中で、たまった背広やYシャツはたくさんあります。定年後となると、着ることもなくなるでしょうから、早速、これらの生地を使って、雑巾を作ってみました。
そして、部屋や玄関、トイレ、 風呂などをピカピカになるよう磨き上げました。リビングなどの木製の床を雑巾がけしただけで、気持ちが落ち着きます。
枡野さんは、不要になった竹を器にし、3000個のろうそくを立てて、灯しているそうです。使用した竹は竹炭にし、ご飯を炊くときに再度、使用しているといいます。
モノを大切に、工夫して最後まで使い切る。自分なりにアイディアを凝らして、モノと対話していく大切さを学ぶことができます。
また、雲水(修行僧)のスペースにも興味を持ちました。雲水は、「起きて半畳、寝て一畳」の空間で生活しています。僧堂(修行棟兼居住棟)には、壁に沿っ て一列に畳が並んでいるそうで、その1枚分が雲水ひとりに与えられたスペースになるといいます。坐禅も、食事も、睡眠もここですべて行うそうです。
プライバシーのない最小限のスペースですが、不必要なものが一切ないため、邪念、雑念がなくなるといいます。
モノとは何なのか。自分にとって本当に必要なモノだけに絞っていこうと思えてきます。高くても、いいモノを大切に使うということに通じるかもしれません。
定年になってからは、少しでも、家事に役立つよう、朝昼晩、3食のたびに、皿洗いをすることにしています。茶碗、湯のみ、皿、箸などを洗剤をつけて丁寧に洗い、水を切って、かごに乗せます。シンクはペーパータオルで水を拭き、きれいにします。生ごみは、ビニール袋に入れて、ゴミ箱に移します。
毎回、なにげなく行っていましたが、皿洗いを終えると、すっきり、すがすがしい気持ちになることに気づきました。これが、心を磨くための掃除にもつながるんだなあ、と感じています。掃除を毎日の生活の柱に据えるつもりです。
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