東京・神田で、歴史散歩を楽しむ 猿楽、鷹匠、美土代などの地名の由来を知って

 東京・神田を歩くと、おやっと思う地名に出会うことがあります。猿楽、鷹匠、美土代など興味深い地名ばかりです。そんな地名の由来などを知ると、小さな歴史散歩を楽しむことができます。

 「旧・表猿楽町」――。都営新宿線を神保町で下車して、地上に出ると、「神田神保町1丁目(旧・表猿楽町)」の町名由来案内板があります。その説明によると、江戸時代、このあたりの東側は、表猿楽町と呼ばれていたそうです。

 「猿楽」とは、能楽の古称で、観阿弥、世阿弥父子によって芸術性を高めた猿楽は江戸幕府の「式楽」(儀式に用いる音楽・舞踊)に指定されました。その家元の一つである観世太夫やその一座の人々の屋敷がこの界隈にあったことから、「猿楽町」と呼ばれるようになったといいます。

 靖国通りを少し歩くと、かつて、「中猿楽町」と呼ばれていた場所もあります。

 また、靖国通り沿いには、江戸時代、「元鷹匠(たかしょう)町」と呼ばれていた地域(今は、小川町という町名)があります。鷹狩に使う鷹の飼育を行った鷹匠が住んでいたことから、こう呼ばれるようになりました。

 元禄6年(1693年)小川町と改称されましたが、5代将軍徳川綱吉が「生類憐みの令」を施行し、鷹狩を禁止したためとも言われています。

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 伊勢神宮にささげるための稲を育てる水田「みとしろ」があったとの故事にちなんで明治5年(1872年)、「美土代」 と命名された地域には、江戸時代、綱吉の側近だった柳沢吉保が住んでいました。

 江戸時代、神田には多くの武家屋敷がありましたが、今、神田錦町3丁目となっている地域には、「天下のご意見番」として、講談や時代劇に登場する武将の大久保彦左衛門忠教が住んでいたといいます。

 「楽しく歩くことで結果として、健康になり、ダイエット効果が得られ、精神の明るさを取り戻し、食欲が増して食事が楽しくなるし、心の風景が豊かになる」

 「『心で歩く』と好奇心が芽生えてくる。そして、一つの好奇心はまた別の好奇心を育ててくれる。歩けば歩くほど、好奇心は旺盛になる」

  医学博士の大島清さんは著書「歩くとなぜいいか?」で、こう書いています。そのうえで、大島さんは、鎌倉の自宅近くにあった化粧(けわい)坂の話を紹介しています。

 「なぜ歩きにくく、不気味ささえ漂うような道が『化粧坂』なのか」謂れが気になって、図書館で調べてみると、鎌倉幕府滅亡の主戦場の一つであったことがわかったそうです。また、「険(し)い坂」が転化したという説も知ったといいます。

 地名の由来を知る。そして、その地域で生きた人物も学ぶ。小さな旅ですが、とても豊かな時間に感じられます。

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