両国にぎわい祭り2019 ちゃんこを味わい、相撲の街を巡る 江戸の風情は?

 東京の下町・両国は江戸時代、繁華街だったことから、両国には名所・旧跡が多く残っています。江戸時代、本所と呼ばれ、浅草とともに、多くの江戸っ子でにぎわいました。そんな両国の魅力を探るイベントとして、毎年、注目されているのが、「両国にぎわい祭り」です。2019年のイベント内容を探ってみました。

 ◇日程・場所

 2019年4月27日(土)28日(日)の2日間
 午前10時30分から午後4時まで
 メイン会場 国技館通り
 サブ会場  国技館、回向院、江戸東京博物館、両国駅広小路
 入場無料(一部有料イベントも)

 ◇両国にぎわい祭りとは

 両国の活性化を狙いに、両国の商店街、町会、企業が、「両国にぎわい祭り実行委員会」を作ってスタートした祭りです。墨田区が後援しています。2019年で17回目を迎えました。

 「わがまち再発見!-歴史も文化も盛りだくさんー」がキャッチフレーズです。昨年は約8万人が訪れました。

 ◇イベント  

 両国と言えば、国技館があることから、相撲のイメージも強いのではないでしょうか。そのイメージ通り、にぎわい祭りでは、国技館通りで行われる「ちゃんこミュージアム」が毎年、大人気です。

 両国にあるちゃんこ料理の名店が出店、いろいろのちゃんこを味わえます。食材、味付けがさまざまで、食べ比べも楽しいでしょう。

 国技館会場でも、食は充実しています。オリジナルちゃんこや名物焼鳥の販売が行われます。もちつきのイベントもあります。

 回向院会場では、雅楽演奏、大道芸、写経、法話などのイベントが行われます。また、江戸東京博物館では、お囃子の演奏、子供たちのダンスなどが行われます。

 国技館通りのメイン会場をスタートし、国技館、回向院、江戸博会場、江島杉山神社、すみだ北斎美術館を巡るスタンプラリーも行われます。

◇アクセス

 JR総武線、都営大江戸線の両国駅で下車

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 ◇両国の魅力

 両国を歩き、その魅力について書いた記事がいくつかあります。両国を深く知れば、両国にぎわい祭りを一層、楽しむことができるでしょう。

 江戸時代から現代にかけて、情緒あふれる下町文化を築いた両国は江戸時代、「本所」と呼ばれた場所です。両国をゆっくり歩くと、江戸前鮨の発祥地、幕臣・勝海舟の生誕の地、文豪・芥川龍之介の生育の地や文学碑など名所・旧跡が多く、心豊かな一日になります。
 両国は、隅田川にかかる両国橋を渡って、東日本橋川から入りますが、江戸時代は、ここに回向院があり、門前町が一帯に広がっていたそうです。今は、門前町の面影はあまりありませんが、その一角を歩いていると、「与兵衛鮨発祥の地」の案内板があります。こちらをお読みください。

 日本庭園はいつ行っても、心が落ち着きます。東京・JR両国駅北口近くにある旧安田庭園(同駅北口)もそのひとつです。「心」の字をかたどった心字池が、庭園の中央にあります。大木がゆうゆうと空へと伸び、その影が緑色の水面に映えます。水鳥が池を泳ぎ、時折、水中にもぐっています。
 園内を散策すれば、どこか、空気が澄んでいるようにも感じられ、心地いいひと時となります。こちらをお読みください。

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 鉄道の駅の歴史を学ぶのはとても楽しいものです。自分の足で歩き、自分の眼で見て、自分で調べて、「鉄道学」を学ぶ。まずは、江戸時代から下町文化を担ってきた本所(現在は両国)の両国駅に行ってきました。
 明治37年(1904年)の両国橋駅(現在の両国駅の前身)開業当時、東京都心の鉄道網は方面別にターミナルがあり、両国橋駅は、東の玄関口として房総方面への旅客・貨物輸送を一挙に手掛ける大動脈の役割を果たしていたことを知りました。こちらをお読みください。 

 東京・墨田区のJR両国駅周辺を歩くと、相撲の街を満喫することができます。同駅北口には、国技館があります。相撲部屋やちゃんこ料理店もあります。さらには、力士の銅像、手形、写真、ポスターなどを街の随所で見ることができます。
 回向院の境内で相撲が行われたこと、その後は旧国技館で相撲が引き継がれたこと、そして、相撲興業の成功を祈る野見宿禰神社がある――という新しい発見に出会うこともできます。こちらをお読みください

 東京のJR両国駅周辺を歩くと、江戸時代、両国(江戸時代は本所)は、浅草などと並ぶ有数の繁華街だったことが感じられます。名所・旧跡が多いのは当然でしょう。訪れるたびに、新しい発見があります。両国の魅力は一層、高まります。
 両国の歴史、見どころを探ってみました。
 ◇両国橋
 江戸時代は、隅田川に架かる両国橋と、回向院が重要な役割を果たしていました。江戸初期は、江戸城を防衛する狙いから、隅田川には千住大橋しか架けられておらず、明暦の大火(1657年)の時には、多くの人々が隅田川を渡れずに死亡しました。こちらをお読みください。

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