一石橋迷子しらせ石標は、江戸時代の迷子石のひとつ 江戸の面影を残す場所を散策しよう

 東京都内には、江戸の面影を残すものが随所にあります。JR東京駅近くの八重洲地区には、その一つとなる「一石橋迷子しらせ石標」があります。「迷子石」と呼ばれるものの一つです。

 江戸時代に迷子? 

 ちょっと不思議に思いますが、当時の状況を勉強すると、江戸は人口約100万人の大都市だったことがわかります。迷子もいたわけです。

 案内板によると、江戸時代、橋の北側には、幕府金座御用の後藤庄三郎、南側には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷がそれぞれあったことから、後藤をもじって五斗で、五斗+五斗=1石となって、一石橋と名付けられたのだそうです。

 江戸っ子のユーモアです。洒落ています。

 この橋のたもとに建つ石標は高さ1.75メートル、幅0.36メートル、奥行き0.26メートルです。江戸時代、このあたりから日本橋にかけては盛り場だったといい、迷子も多く、町内が安政4年(1857年)、迷子を保護し、探すために、この石標を建てたそうです。

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 石標の正面には、「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、右側には、「志(し)らす類(る)方」、左側には、「たづぬる方」と彫られています。誰かが迷子やたずね人の特徴を書いた紙を左側の面の窪みに貼ると、これに心当たりがある通行人が右側の面の窪みに、その旨を紙で書き、告示板の役割を果たしました。

 こういった石標は、両国橋など数か所にもあったそうですが、多くが、震災や戦火で破壊されました。湯島天神には、1850年(嘉永3年)建立の迷子石があり、最も古い迷子石として知られています。

 この石標を前に、一石橋を眺めると、江戸の賑わいが目に浮かんでくるようです。多くの庶民らがこの橋を渡って生活していたのでしょう。江戸の歴史を感じ取ることができます。

 「迷子石」を題名にした小説もいくつか書かれています。平岩弓枝さん、藤井邦夫さん、梶よう子さん、庄司圭太さんらが執筆しています。宮部みゆきさんにも「まひごのしるべ」という短編があります。

 好きな小説家の作品を味わいたいものです。

 また、江戸に関する本はたくさん出ています。こうした本をよく読むとともに、一歩一歩、歩くと、身近な場所で、江戸の歴史を発掘できます。



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