江戸時代、将軍は地位の高い人物でした。毒が入った食べ物を口にしたら、死にかねない中で、将軍のための食事の毒見方法はどう行われたのでしょうか。食べるまでにかかった時間を含めて、将軍のための食事の毒見方法についてまとめました。
将軍のための食事の毒見方法は? 食べるまでにかかった時間は?
文筆家・杉浦日向子さん(1958年-2005年)の著書「一日江戸人」が大いに役立ちます。将軍の食事に関して、以下のような興味深い話が紹介されています。
将軍の食事を担当する「御膳所」では、50人以上の男性の台所人が10人分の料理を作ったそうです。
そのうちの一膳を2人の役人が分けて毒味し、大丈夫だったら、残り9人分を持って、将軍のもとに移動します。江戸城内は広く、時間がかかるため、途中で再度、炭火で温めなおし、そこで女性の役人がまた、一膳を毒味します。ここまでが1時間です。
毒味で問題がなかったら、8人分を盛り付け、やっと、将軍に出されます。ここでも2人の役人が先に食べ、何もなければ、ようやく、将軍が食べることになります。ここまでで2時間かかりました。
多くの人数分を作るのは、毒味に加え、最終的に、将軍がどの膳を食べるかわからないようにするためだったといいます。毒殺を避ける最大限の配慮をしていたことがわかります。
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一日江戸人 (新潮文庫)
一日江戸人 (新潮文庫 新潮文庫) [ 杉浦 日向子 ]
飯田橋の台所町跡
江戸城には、将軍の食事を担当する「御膳所」や、御台様(将軍夫人)に料理を出す「奥御膳所」がありましたが、、将軍以外に出す料理は、「表御台所」で作られていました。
「表御台所」は、現在の東京・飯田橋にありました。飯田橋に行くと、「台所町跡」の標柱が目に飛び込んできます。江戸城の台所を担った役人の組屋敷があった場所です。
標柱によると、この場所には、江戸時代の初めから元禄の頃まで、組屋敷があり、江戸城の台所を担当した役人が住んでいたそうです。400石の台所頭の鈴木喜左衛門を筆頭に、台所衆、台所者と呼ばれる役人がここの住人でした。
江戸城の食事がどうやって賄われていたかがわかります。
まとめ
本を読み、街を歩くと、江戸時代の食文化の一端を学ぶことができます。
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