東京・中央区日本橋小伝馬町の「十思公園」には、江戸時代に使われた「時の鐘」=写真=が残っています。時の鐘の歴史とはどうなっているでしょうか。また、時の鐘が鳴る時間はいつで、江戸っ子はどう時間を知ったのでしょうか。時の鐘についてまとめました。
時の鐘(日本橋)の歴史とは?
「石町(こくちょう)は江戸を寝かせたり起こしたり」
川柳でこう詠まれた「時の鐘」はもともと、寛永3年(1626年)、十思公園から程遠くない本石町3丁目(現在の日本橋本町4丁目)に鐘楼が建られ、その中で、時を告げていました。江戸で最初の時の鐘でした。
この鐘は相次ぐ火災で破損したため、修理や改鋳が行われました。今の鐘は宝永8年(1711年)に鋳造されたものです。明治時代に入って、時の鐘は廃止されましたが、昭和5年(1930年)、十思公園に移設されました。
時の鐘が鳴る時間はいつで、江戸っ子はどう時間を知ったか?
江戸時代の「時の伝達」はこんな具合でした。
江戸城に砂時計や、オランダから輸入されたゼンマイ時計がありました。
江戸時代、日の出は「明け六つ」、日の入りは「暮れ六つ」などと呼ばれました。時の鐘が鳴る時間は、これら「明け六つ」などにあわせたもので、江戸城で、担当者が太鼓を打ち鳴らしました。
これを聞くと、「時の鐘」の担当者が鐘を撞いたと言います。
江戸の町中には、本石町3丁目のほか、
浅草
上野
本所深川
芝
市ヶ谷
目白
赤坂
四谷
などにも、「時の鐘」はありました。
「時の鐘」は、まず、「捨鐘」として3つ打ち、その後、明け六つなら6回、打ったのだそうです。そして、「時の鐘」を聞くと、江戸じゅうの寺院のお坊さんが寺の鐘を撞いたと言います。次から次に、時刻が伝わった訳です。
江戸時代、時計はありましたが、大名や裕福な商家だけしか所持しておらず、「時の鐘」が江戸っ子にとって、なじみの深いものでした。
「時の鐘」のエピソードも
「時の鐘」には、こんなエピソードもあります。
十思公園近くにあった伝馬町牢屋敷では、処刑もこの時の鐘によって執行されましたが、時に、担当者が家族の願いを聞き入れ、処刑者の命を少しでも延ばすよう鐘を撞くのを遅らせたこともあったといいます。
十思公園へのアクセス
まとめ
6月10日は時の記念日です。時の貴重さを改めて感じ取りたいものです。
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