江戸時代中期は、庶民の生活が安定し、梅を観賞する「梅見」が大人気だったといいます。厳しい冬を経て、温かい春を心待ちにした庶民の気持ちが伝わってくるようです。もうすぐ梅のシーズンが本格化するのを前に、東京・墨田の亀戸天神と、江戸時代、梅の名所だった梅屋敷跡に行ってきました。心が和らぎました。
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
政争で敗れ、京から九州の大宰府に左遷された菅原道真公が京を離れる時、庭の梅を見て詠んだ、この歌はよく知られています。亀戸天神は、その菅原道真公の末裔で、大宰府天満宮の神官だった菅原信祐が文久6年(1661年)、本所亀戸村に道真公の像を奉祀、翌年、徳川4代将軍・家綱が、太宰府天満宮にならって、社殿などを設けたのが亀戸天神の始まりです。
境内には約250本の梅の木があります。満開には少し早いようでしたが、太鼓橋や藤棚の近くにある白梅や紅梅が咲き始めていました。中年の夫婦が仲良さように、カメラで梅の花を撮影しています。受験生の女性が絵馬をかけた後、梅に見入っていました。合格の祈願をしているのでしょう。先日のブログでも書きましたが、この神社でも、若い男女が結婚記念の写真撮影をしていました。何度、見ても、いい風景です。
亀戸神社から北東方向に歩くと、「梅屋敷跡」の案内板が浅草通り沿いに立っていました。江戸時代、梅の名所として知られた場所です。もともとは、本所の商人、伊勢谷彦左衛門の別荘で、「清香庵」と呼ばれていましたが、庭内に、梅が多かったことから、「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。なかでも、龍が大地に横たわっているように見える梅が人気で、「臥龍梅(がりゅうばい)」と呼ばれました。水戸光圀の命名だそうです。
8代将軍の徳川吉宗が鷹狩りの帰途、この梅屋敷に立ち寄ったこともあります。梅見の名所として、多くの江戸庶民でにぎわったといいます。歌川広重も、この梅屋敷の梅をよく描き、「江戸名所百景」の錦絵は傑作のひとつに数えられています。
残念ながら、この梅屋敷は、明治43年(1910年)の大雨で、隅田川が氾濫、洪水で、梅の木が枯れ、廃園となりました。現在は、ここから少し離れた場所に、この梅屋敷をモチーフにしてできた「亀戸梅屋敷」があります。
これまで、東京・大田区の梅屋敷公園や池上梅園を訪れましたが、まだまだ、多くの梅の名所が東京やその近郊にはあります。できるだけ多くの梅の名所を訪れ、その美しさを観賞したいと思います。歌川広重は、大田区の梅屋敷公園について、「蒲田の梅園」の浮世絵も残しています。浮世絵を見ながら、梅を観賞するのも、昔と今の梅の様子の変化がわかって楽しいでしょう。
情報 亀戸天神では、2月13日から3月13日まで、梅まつりが開かれます。
亀戸天神 東京スカイツリーも見える
梅屋敷跡
歌川広重の錦絵