一里塚とは、どんな意味がある? 現存(復元)の一里塚を旧東海道(静岡県清水町)で見る

 江戸時代には全国各地の街道に一里塚がありました。一里塚とは、どんな意味があるのでしょうか。現存(復元)の一里塚を旧東海道(静岡県清水町)=写真=で見ました。

一里塚とは、どんな意味がある?


 一里塚とは、どんな意味があるのか、早速、国語辞典や漢和辞典で調べてみましょう。

 「江戸時代に、全国の諸街道に一里ごとに土を盛り、松や榎(えのき)などの樹木を植え、里程(りてい)の目標とした、つか」(岩波国語辞典)

 「街道の一里ごとに設置した塚。江戸時代、距離のめやすとした」(大修館現代漢和辞典)

 こう見ると、一里塚がどういったもので、どんな意味があったかがよくわかります。

 また、一里塚には、街道の塚のほかに、もうひとつ意味があります。

 明鏡国語辞典によると、一里塚は、「目的を達成するための区切りとなる段階」で、「行政改革への一里塚」などと使用されます。

 また、先の大修館現代漢和辞典も、一里塚について、「(比喩として)大きな事業や長い時間にわたる変化の過程における、一つの節目を示す事柄」とし、「国交回復への一里塚」として使うことを説明しています。

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現存(復元)の一里塚を旧東海道(静岡県清水町)で見る

 
 では、実際の一里塚を現地で見ましょう。

 静岡県駿東郡清水町の宝池寺前にある一里塚の案内掲示板によると、宝池寺一里塚は、江戸時代、江戸日本橋を起点とし、一里ごとに道の両側に築かれた塚の一つで、旅人にとっての道標(みちしるべ)となっていました。

 道の向い側にある玉井寺一里塚と対をなし、「伏見一里塚」と言われ、江戸日本橋から29番目でした。また、一里は、三十六町(3927メートル)であったことも説明されています。

 宝池寺一里塚は、長年の風雨で原型が損なわれたため、昭和60年(1985年)、多くの篤志によって原寸どおりに復元されたのだそうです。また、宝池寺側には、立場(たてば)があり、人夫などが駕籠を停めて休憩したといいます。

 現地で見ると、国語辞典などの一里塚についての説明がぐっと身近なものに感じられてきます。現地を訪れ、実際に見る大切さでしょう。まさに、百聞は一見にしかず、です。

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まとめ

 「人生の一里塚」も、もうひとつ意味の一里塚でしょう。街道の一里塚を次の一里塚に向けて歩くと、そんな一里塚の重要性も感じられます。

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