馬込文士村(東京・大田区)を散策すると、天祖神社脇の石垣には、作家たちの顔をはじめ、当時の大森駅や、相撲、麻雀、ダンスなどを楽しむ文士たちが描かれたレリーフがあります。レリーフから、当時の街の風景や文士たちの生活ぶりがくっきりと浮かんできます。
天祖神社は、JR京浜東北線・大森駅西口からすぐのところにあります。
圧巻は、文士たちの顔を描いた「馬込文士村の住人」でしょう。
尾崎士郎
宇野千代
石坂洋次郎
川端康成
北原白秋
三島由紀夫
山本周五郎
高見順
山本有三
ら40人以上の文士の顔がずらりと並んでいます。どんな文士がこの地で暮らし、創作活動を行ったかが一目でわかります。
当時、大森駅近くの高台は都市近郊の別荘地で、その近くの馬込は、雑木林や大根畑が広がる地域だったそうです。
尾崎士郎、宇野千代夫妻(のちに離婚)が大正12年(1923年)、大根畑の中にある家に住み始め、文学仲間を誘ったことから、多くの文士が移り住んできたといいます。大正末から昭和初期にかけて、小説家や劇作家、詩人、芸術家など多くの文士が住み始め、「馬込文化村」と呼ばれるようになりました。
尾崎士郎、宇野千代のレリーフには、2人が文士たちの中心的な人物であったことが説明されています。2人の人柄を慕う仲間で家の中はいつも賑わい、様々な話題が飛び交うため、「馬込放送局」とも呼ばれたそうです。
文士村の女性たちが相次いで断髪し、ショートカットにしたことから、馬込村の人々を驚かしたというレリーフもあります。文士村の時代は、女性が第一線で活躍し始める時期とも一致しています。
昭和初期、文学界は転換期を迎え、将来に不安を抱く文士も多くいたといいます。文士たちは、そんな不安を吹き飛ばすために、麻雀やダンスなどを楽しみました。レリーフはそんな文士たちの様子を描いています。ダンスパーティーはアトリエで開かれたといい、萩原朔太郎夫妻、室生犀星、宇野千代、川端康成夫人らが参加したそうです。
文士たちの家を訪れ、その生涯をたどる。文士たちの作品を読むのも楽しくなりそうです。
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