江戸時代、日本には鴨場があったことを時々、耳にすることがあります。鴨場の仕組みとはどうなっていたのでしょうか。浜離宮恩賜庭園(東京・中央区)で、その鴨場を見学して、仕組みを学びました。浜離宮恩賜庭園の鴨場は、全国で5か所しかない鴨場の一つです。
鴨場の仕組みとは? 浜離宮恩賜庭園で、鴨場を見学して仕組みを学ぶ
鴨場とは、江戸時代、野生の鴨などの水鳥を遊猟した施設です。
知恵を凝らして、野生の鴨などを捕獲する――。浜離宮恩賜庭園で、鴨場を見学すると、江戸時代の遊猟の様子が想像できて、楽しいひと時になります。
鴨場の仕組みとは、以下のようになっています。
鴨場は、飛来した水鳥が休む「元溜(もとだま)り」と呼ばれる大きな池と、引き込みの水路であるいくつかの「引堀(ひきぼり)」で構成されています。元溜りには、飼いならしたアヒルを放しておきます。
大きな池全体を見渡すことのできる、池のそばの「大覗」から水鳥の集まり具合や風向きなどを確認、その日の状況に応じて、どの「引堀」を使うかを決めます。
そうしたら、この「引堀」を見渡すことのできる「小覗」(トップの写真)で、鷹匠らが、木の板を打ち鳴らします。この音を聞くと、飼いならされたアヒルが、「元溜り」の池から、「引堀」に入って来ます。「引堀」には、ヒエやアワなどの餌をまいておきます。水鳥はアヒルにつられる習性があり、アヒルに続いて、「引堀」へやってきます。
引堀の両側では、鷹匠らが息を殺して陣取り、捕獲のタイミングを狙います。脅かされて、水鳥が飛び立ったら、素早く、鷹を放ち、水鳥を捕獲します。
江戸時代は、鷹で水鳥を捕獲しましたが、明治時代になると、網も活用、引堀の水鳥を獲るとともに、高く飛び立った水鳥については従来通り、鷹が捕獲しました。水鳥を逃すと、この池が危険であることを仲間に教えてしまうため、「引堀」に入った水鳥はすべて捕獲するようにしたそうです。
「小覗」は、土を盛り上げて作ったもので、見たことのない形です。木の板と小づちが壁にかけられ、引堀を見ることができる小さな覗き穴があります。背丈より、やや高いくらいです。池へとつながる「引堀」を見渡すことができます。
浜離宮恩賜庭園には、「庚申堂鴨場」(1778年築造)と、「新銭座鴨場」(1791年築造)の二つが残っています。
まとめ
鴨場という猟を知っている方はそう多くないかもしれませんが、実際に、その猟場を歩くと、遊猟の仕方を理解することができます。
鴨場だけでなく、江戸時代の風習、あるいは、知恵はまだ、たくさんあるはずです。「江戸」をもっと体験したくなります。
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