駅弁はいつの時代になってもいいものです。昨日書いた旧新橋停車場には、鉄道歴史展示室があり、そこで開催中の企画展「駅弁むかし物語」を見て、そう思いました。駅弁には、様々な思い出がありますが、楽しい思い出が圧倒的でしょう。企画展を見ているだけで楽しくなりました。
「駅弁むかし物語」では、明治から大正、戦前、戦中、戦後、そして、現代にかけての駅弁の歴史が説明されています。駅弁が登場したのは明治18年(1865年)で、宇都宮駅で売り出されたのが最初といいます。宇都宮駅の弁当はどんなものかはわかっていませんが、明治10年代後半の駅弁は多くが、握り飯に香の物で、竹の皮に包まれていました。
企画展のパンフレットにある「駅弁立売の風景」という絵によると、売り子は法被姿で靴をはき、乗客に、駅弁を売っています。2等車の座席から乗客が身を乗り出して、売り子の駅弁をのぞいています。土瓶のお茶を手にした着物姿の男性や、駅弁を選ぼうとするスーツ姿の男性が描かれています。ビールも売られていたようです。明治期の駅弁売りの風景がわかって、楽しくなります。
各時代を追って、駅弁の容器や包み紙、お茶の容器などが展示されています。駅弁や茶瓶の容器には様々なものがあり、その時代の駅弁の様子がわかります。お茶の容器はガラス瓶や陶器製から軽いポリ茶瓶に変わりましたが、約40年前、大学受験のため地方から上京した時に買ったポリ茶瓶(駅弁は覚えてませんが)があって、懐かしく思い出しました。今はペットボトルのお茶が人気ですから、茶瓶も大きく変わってきたことになります。
高度成長期の旅行ブームで、駅弁も大人気になり、各地方の名物を使ったご当地駅弁や変わった形をした駅弁が売られました。私も、横川駅で買った「峠の釜めし」の容器も大切にしたものです。
東京近郊に行く時は、新幹線ではなく、普通列車のグリーン車に乗って、駅弁を食べながら行くことにしています。新幹線は最速で目的地に着けますが、ちょっと、のんびりした旅もいいものです。車窓に流れる景色を見ながら、駅弁を食べると、ゆったりした気持になることができます。
鯛駅弁の包み紙(パンフレットから)