明治5年(1872年)10月、日本で初めて、蒸気機関車・客車が東京・新橋駅-横浜間を走った歴史を学ぶため、先日、東京・新橋の旧新橋停車場を見に行きましたが、今度は、もう一方の横浜停車場跡も訪れたくなり、横浜に行ってきました。現在のJR京浜東北線の桜木町駅から関内駅方向に120メートル行った所が、その場所なのだそうです。今は何もありませんが、桜木町にある「鉄道開業」の案内板を読むと、桜木町駅周辺の様子や一番列車のメンバーなどがわかり、有意義な小旅となりました。
1枚の写真を見ると、横浜停車場の雰囲気が伝わってきます。新橋停車場と同様、駅舎は、アメリカ人ブリジェンスによる設計で、写真中央には、高さ4・4メートル、重さ約1.3トンの鋳鉄製の噴水塔がありました。日本初の近代水道創設を記念して設置されたのだといいます。「初代横浜駅と発着場の情景」では、女の子の手を引いて歩く和服姿の母親、風呂敷袋を手にする女性、帽子を被った洋服姿の男性なども描かれ、当時の熱気が伝わってくるようです。
また、歌川国鶴による錦絵を見ると、横浜駅に入車する蒸気車、2階建て洋風の駅舎、大岡川に架かるアーチ型の弁天橋、レンガ造りの灯台、さらに、大岡川や沖には、和船、西洋船が描かれています。「まさにこの場所から日本の近代化が開かれたのである」という説明通りです。
写真や版画、イラストを見るだけでも、当時の横浜停車場の様子がわかって、楽しくなります。
新橋停車場が新橋ではなく、汐留にあったように、横浜停車場も桜木町駅近くにありました。現在の横浜駅は、明治期の横浜停車場と神奈川駅の間にありました。当時の地図を見ると、現在の横浜駅にも近い神奈川停車場付近は、海のすぐ近くにあり、西側は平沼(明治初期)、内海(明治中期)となっています。次第に埋め立てられてきたことがわかります。
1番列車に乗った顔ぶれにも興味を持ちました。横浜-新橋間は1872年10月14日に正式開業しましたが、1号車から9号車までの各客車に、天皇や皇族、明治維新を率いた政治家、海外の外交官らが乗りました。客車は英国製で、1両は全長5.4メートルという短さでした。1、2号車には、明治天皇の警備にあたる近衛兵、3号車には、明治天皇や皇族、三条実美・太政大臣ら、4号車には、副島種臣・外務卿や、西郷隆盛・参議、大隈重信・参議、板垣退助・参議、米国大使、フランス代理公使らがそれぞれ乗りました。
開国から数年で鉄道を開通させた日本の快挙は、外国の記者によって、驚きを持って海外に報道されたそうです。
横浜には、神奈川駅跡、高島ヤード跡、鉄道発祥の記念碑、2代目、3代目の横浜駅跡、外国人鉄道技術者の墓など、明治から昭和にかけての史跡がたくさん残っています。これから、一か所ずつ回り、横浜、そして、日本の鉄道の歴史を学んでいきたいと思っています。
トップの写真は、横浜停車場の錦絵(歌川国鶴作)
「初代横浜駅と発着場の情景」 横浜停車場の活気がわかる
横浜停車場の写真
明治期と現在の駅の比較
明治期、神奈川駅近くは、平沼や海
1番列車の顔ぶれ
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