江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎の生誕地にちなんだ「北斎通り」を歩く ゴッホなどに影響を及ぼした功績を考えながら

 江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎(1760年-1849年)の生誕地にちなんだ「北斎通り」を歩きました。東京・墨田区のJR両国駅北口から東の錦糸町駅に延びる通りです。この通りには、生誕の地(墨田区亀沢)に案内掲示板があるだけですが、独自の画風を築き、ゴッホら世界の画家に影響を及ぼした北斎の功績を考えながら歩くと、楽しい歴史散歩になりました。

 「あと10年、いや5年でよいから生きさせてくれ、そうすれば真の画工になれる」

 その掲示板を見ると、死の間際に臨んで言ったとされる、北斎のこんな言葉が書かれています。80歳を超えても、なお、浮世絵の創作に取り組んだ葛飾北斎の意欲が伝わってきます。葛飾北斎は18歳の時、浮世絵師・勝川春章の門下となり、狩野派や光琳派、大和絵、唐絵、さらには西洋画など多くの画法を学び、画風を極めました。

 風景画や役者絵が得意で、「富嶽三十六景」や「北斎漫画」、「百物語」、「千絵の海」などの名作で知られています。作品数は3万点に達しています。代表作の「富嶽三十六景」は73歳の時に完成しました。多くの浮世絵は、ゴッホ、セザンヌ、ゴーガンらに影響を与え、米雑誌「ライフ」のアンケート「この1000年間で最も重要な業績を残した世界の人物100人」の中で、日本人では唯一、この100人(86位)に入りました。

 葛飾北斎は生涯、30回、画号を変えたほか、現在の墨田区や台東区にあたる地域で93回、転居を繰り返しました。いろいろな場所で生活し、その地域を自分の眼で見ることで、新しい視点を得て、発想力を磨いたのだと思います。

 北斎通り周辺を歩いていると、緑町公園の壁に、浮世絵が描かれた浮世絵が目に飛び込んできました。葛飾北斎の「富嶽三十六景」があります。そして、近所の保育園なのでしょう。本所たから保育園、横川橋保育園、江東橋保育園、こひつじ保育園の園児たちが描いた「富嶽三十六景」の絵があります。北斎の「富嶽三十六景」をモチーフに、子供たちが船に乗っている様子などを描いています。子供らしさがあふれ、見ていて、楽しい絵になってます。時代を超え、ここにも、葛飾北斎が生きています。

 葛飾通りを歩いたら、もっと、葛飾北斎について知りたくなりました。展覧会で、実際の浮世絵を見るのもいいでしょう。絵画集や伝記、資料も多くありますから、葛飾北斎を少しずつ勉強していきたいと思います。

DSC_8335

子どもたちの絵 とっぷの写真も、子供たちの絵

DSC_8334

葛飾北斎の「富嶽三十六景」

DSC_8329

葛飾北斎の生誕の地