「海水館」の跡地を訪れる 島崎藤村ら明治や大正の文豪が小説を執筆した割烹旅館 

 東京・中央区の佃島には、明治期、割烹旅館の「海水館」がありました。島崎藤村や小山内薫ら多くの文豪がこの旅館に長期宿泊して、名作を執筆した場所です。当時は、房総の山々を望むことができた閑静な景勝地だったそうです。

 文豪の詩的感動がどう、作品を生み出したのか、実際に作品を読んで検証すると楽しいでしょう。

 海水館跡は、隅田川の晴海運河沿いにあります。相生橋のやや南で、「海水館の碑」が建っています。この碑は、島崎藤村がこの地で小説を書いたことが忘れられないように、と藤村の母校・明治学院大学の藤村研究部によって、1968年に建てられたものです。

 佃地区には、高層マンションも多くありますが、佃3丁目の海水館跡付近には、瓦葺の民家もまだ残っています。下町情緒が豊かで、どこか、ホッとします。

 海水館の碑の横にある案内板によると、海水館には、島崎藤村が明治40年から41年にかけて滞在し、自伝小説の「春」を執筆、朝日新聞で連載しました。また、小山内薫も明治42年から44年に かけて滞在し、自伝的小説「大川端」を読売新聞に連載しました。

 荒畑寒村、木下杢太郎、佐藤惣之助、竹久夢二、日夏耿之助、三木露風ら多くの作家、芸術家 が滞在して、創作活動を行ったそうです。

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 川岸に立つと、対岸に林立する高層マンションが目に入ってきます。明治のころとは大きく変わり、房総の山々は見えません。ただ、川は水量豊かに静かに流れており、どこか心が安らぎます。藤村らも、この川を眺め、しばし、創作活動の疲れを取ったことでしょう。

 「芭蕉が奥州行脚において、古いものの跡に心を動かされ、名所・旧跡に関心を寄せていたことは否定し難い。芭蕉が、古人の詩的感動を誘ったものに触れることによって、新しい創造力を生み出そうとしたのが『おくのほそ道』の旅であった考えたい」

 「おくのほそ道」(講談社学術文庫)を全注釈した久富哲雄さんは、芭蕉のスタイルをこう解説しています。

 「海水館」も「古いもの」で、名所・旧跡の一つと言えるでしょう。古人の詩的感動から自ら創造力を生み出す。少しでも、文豪らの足跡をたどり、詩的感動に触れ続けたら、心豊かなひと時になるはずです。

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