美味しい食べ物は、過去の記憶を鮮明に蘇らせるのでしょうか。「鬼平犯科帳」や「剣客商売」、「真田太平記」などの時代、歴史小説を書いた作家の池波正太郎(1923-1990年)は、そばやうなぎなど毎日の食べ物を日記に書き続けました。食事の記録の日記です。
池波は、「それだけで、当日の出来事までおもい浮かぶのは、ふしぎなほどだ」と、「食べ物日記」で書いています。
一月一日(月曜) 快晴 暖
賀状三七0枚
十時半起き、例年のごとく祝儀。
[昼] 雑煮、煮〆、酒
[夕] 揚雲吞、小鯛の酢漬、めし(二)、千枚漬、その他
来客なし。
一月二十四日(水曜) 晴
(在)京都
松寿し、その他
夜 映画「夕陽のガンマン」
二月十六日(金曜) 晴
朝雪やむ。十七年ぶりの大雪という。
[朝] チャーシューメン
PM、河出書房、オール・花田、その他来訪。
笹川直政上京。
[夜] すきやき、ウイスキー
笹川、積雪のため羽田着がおくれ、十時過ぎ来る。
昭和43(1968)年、池波が45歳の時の日記です。この年の初めから、「鬼平犯科帳」がスタートしました。
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池波は昭和30年(1955年)代後半から、食べた物を三年間連用の日記に書き始めました。役所勤めを辞めて自宅で執筆するようになり、3食を自宅で食べることになったため、夫人の料理作りの参考に、と書き綴ったものです。
「春なら春、秋なら秋の項を引いてみれば過去の十五年の記録があるから、たちどころに、『これとこれにしよう』と、決まる」と書いています。
日々の食事メニューを詳細に書いています。食への関心が高いということでしょう。グルメ、美食家と言われる由縁です。銀座や浅草、神田などの和洋中華の店で、旨いものを探し、食べ続けた日々がわかります。エッセイでも数多くの料理を紹介しています。
池波は食事のメニューのほか、毎日の来客、見た映画、劇も簡潔に書いています。池波は、この日記によって、当日の出来事を思い出すと言っていますが、夫人の豊子さんも「食事の内容を見ると、その日に何があったかはっきり思い出すことができる」と語ったそうです。
食事の大切さがわかります。食事が日々の生活で大きなウェートを占めているということでしょう。食事の素晴らしさとも言えます。
「禅には、『喫茶喫飯(きっさきっぱん)』という言葉があります。お茶をいただくときには、お茶を飲むことのみに集中し、ご飯をいただく時には、ご飯をいただくことのみに集中することを言います」
「昔から、どんな食べ物も百人の人の手を経て自分の口に入ると言います。そういう心構えで食事をすれば、いかに自分が幸福であるかに気づくはずです」。
禅寺住職の枡野俊明さんは、著書「禅 シンプル生活のすすめ」で、こう書いています。食事の記録は、幸せを積み重ねることにもなるということでしょう。ますます、食事を大切にしたくなります。
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「美味しいものを食べる」。この思いに人一倍情熱を傾けた池波正太郎にならい、食をもう少し見つめなおしたいものです。
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作家の志賀直哉も、毎日の3食を大切にしました。こちらの記事もお読みください。
「小僧の神様」や「暗夜行路」「和解」などで知られる作家の志賀直哉(1883-1971年)は、毎日の3食の食事を大切にしました。食を大切にすることは、生きることも大切にするという信念がありました。毎日の食事をなんとなく取っている人もいるでしょう。食をもっと大切にするよう見つめ直したいものです。
「毎日三度、一生の事だから、少しでもうまくして、自分だけでなく、家の者までが喜ぶやうにしてやるのが本統だと思ふ」
志賀直哉は随筆「衣食住」の中で、こう書いています。・・・続きは、こちらです。