大名庭園 東京の4園(浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、六義園)を徹底ガイド

 江戸は人口100万人の大都市でしたが、総面積のうち、70%を大名屋敷、15%を寺社が占めていました。残る15%の土地に50万人の庶民が住むという状況でした。この中で、全国の諸大名は、上屋敷や下屋敷、時には中屋敷を構え、競って、日本庭園を築造しました。「大名庭園」と呼ばれるものです。

 大きな池を中心に、名木や名石を配し、屋敷や茶屋を建てる--。いずれの大名庭園も、自然と人工美がうまく調和して、今では、癒しの場となっています。時代を経て、今に残る大名庭園は少なくなりましたが、東京にある大名庭園を訪れたのを機に、再び、その特徴や魅力をまとめてみました。これまでの記事を再編集し、アクセス情報などを加えました。

浜離宮恩賜庭園 東京・中央区

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住所 中央区浜離宮1-1
面積 250,215.72㎡
開園時間 午前9時~午後5時
休園日 年末年始(12月29日~1月1日)
入場料 一般300円 65歳以上150円 

 東京湾からの海水を水門で調整、海水の干満で、見え隠れする護岸や池の中島などの変化が楽しめる「潮入り池泉回遊式庭園」です。今も、この潮入りの様子を眺めることの出来るのは、浜離宮恩賜庭園だけです。自然と共存した江戸時代の人々の知恵とも言えるでしょう。海水の池には、ボラやセイゴ、ハゼ、ウナギなどの海水魚が生息しています。

 浜離宮恩賜庭園は、もともと、アシの生い茂る徳川将軍家の鷹狩場でしたが、承応3年(1654年)、4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が海を埋め立てたうえで、別邸を建て、庭園を造成しました。その後、綱重の子、綱豊が6代将軍家宣となって、庭園は「浜御殿」と命名され、改修が行われました。将軍家の行楽や接待の場に使われ、江戸城の出城の役割も果たしました。11代将軍家斉の時に、ほぼ現在の姿になりました。

 明治維新で、皇室の離宮となり、名称も、「浜離宮」となりました。迎賓や謁見の場として利用されました。昭和20年(1945年)、東京都に下賜され、翌年から一般公開されるようになりました。

 大手門から庭園に入ると、松の大木が目に入って来ます。大木の「三百年の松」は、家宣が庭園を大改修した時に植えたもので、太い枝が低く張り出し、圧倒されます。東の東京湾方向に向かいました。お花畑の菜の花が一面に植えられ、その鮮明な黄色が映えます。梅林の木々も美しい光景を作り出しています。

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大手門

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三百年の松

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菜の花畑と梅林

 将軍が船の乗降に使った「将軍お上がり場」があります。1949年の台風の影響で一部は崩れてしまいましたが、石段を上り下りした将軍の姿が想像できるようです。歴史を感じることができます。

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将軍お上がり場

 東京湾を一望できる「新樋の口山」を通り過ぎると、水門があります。東京湾からの海水がここから池に入る仕組みになっています。池には、総檜造りなどの橋がかかり、松などの木々が池を囲みます。鴨などの水鳥も悠然と泳ぐのを目にすることができます。

 高層ビルや東京タワーも見える中、ゆったり、庭園を歩くと、自然の美しさを満喫できます。 

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水門

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 また、庭園内には、野生の鴨などの水鳥を遊猟する「鴨場」があります。全国で、5か所しかない「鴨場」の一つです。知恵を凝らして、野生の鴨などを捕獲する。江戸時代の遊猟の様子が想像できて、楽しいひと時になります。

 鴨場は、飛来した水鳥が休む「元溜(もとだま)り」と呼ばれる大きな池と、引き込みの水路であるいくつかの「引堀(ひきぼり)」で構成されています。元溜りには、飼いならしたアヒルを放しておきます。

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「元溜り」

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「引堀」

 大きな池全体を見渡すことのできる、池のそばの「大覗」から水鳥の集まり具合や風向きなどを確認、その日の状況に応じて、どの「引堀」を使うかを決めます。そうしたら、この「引堀」を見渡すことのできる「小覗」で、鷹匠らが、木の板を打ち鳴らします。この音を聞くと、飼いならされたアヒルが、「元溜り」の池から、「引堀」に入って来ます。「引堀」には、ヒエやアワなどの餌をまいておきます。水鳥はアヒルにつられる習性があり、アヒルに続いて、「引堀」へやってきます。

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「大覗」

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「小覗」

 引堀の両側では、鷹匠らが息を殺して陣取り、捕獲のタイミングを狙います。脅かされて、水鳥が飛び立ったら、素早く、鷹を放ち、水鳥を捕獲します。江戸時代は、鷹で水鳥を捕獲しましたが、明治時代になると、網も活用、引堀の水鳥を獲るとともに、高く飛び立った水鳥については従来通り、鷹が捕獲しました。水鳥を逃すと、この池が危険であることを仲間に教えてしまうため、「引堀」に入った水鳥はすべて捕獲するようにしたそうです。

 「小覗」は、土を盛り上げて作ったもので、見たことのない形です。木の板と小づちが壁にかけられ、引堀を見ることができる小さな覗き穴があります。背丈より、やや高いくらいです。池へとつながる「引堀」を見渡すことができます。

 浜離宮恩賜庭園には、「庚申堂鴨場」(1778年築造)と、「新銭座鴨場」(1791年築造)の二つが残っています。

 鴨場という猟場を歩くと、遊猟の仕方を理解することができます。鴨場だけでなく、江戸時代の風習、あるいは、知恵はまだ、たくさんあるはずです。「江戸」をもっと体験したいと思えるようになります。

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右上の図を見ると、鴨場の仕組みが理解できます

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旧芝離宮恩賜庭園 東京・港区

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住所 港区海岸1-4-1
面積 42,035.40㎡
開園時間 午前9時~午後5時
休園日 年末年始(12月29日~1月1日)
入場料 一般150円 65歳以上70円 

 回遊式築山泉水庭園です。かつては、浜離宮恩賜庭園のように、潮入りの庭園でしたが、今は、海水取水入り口の石垣が残るだけです。この地はかつて海でしたが、明暦(1655年ー1658年)の時代に埋め立てられ、老中・大久保忠朝が延宝6年(1678年)から貞享3年(1686年)にかけて、小田原から庭師を呼んで、庭を造りました。「後壽園」と忠朝が命名した庭園は、紀州徳川家、有栖川宮家などを経て、1924年、「芝離宮恩賜庭園」として一般公開されました。

 大きな池(約9000平方メートル)を中心に、泉水、築山、小島、橋、藤棚などがあります。池の水面に、松やけやき、寒椿、ソメイヨシノなどの木々が映ります。庭園内で最も高い築山の大山に登ると、池と緑が調和した美を一望できます。

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入口

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池と庭園

 庭園の西には、「九尺台」と呼ばれる高台があります。当時は、海の波打ち際にあり、明治天皇がこの庭園に行幸された際は、この高台から、漁民が漁をする様子を楽しんだといいます。高台と言っても低いもので、今は、ビル群しか見えません。江戸時代から、ずいぶん光景が変わったのでしょう。

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九尺台

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池と庭園

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海水取り入れ口跡

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根府川山

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小石が敷かれた庭園

 海はどこまで埋め立てられたのか。そんな思いで、海岸通りを海の方向に向かって歩いてみると、1キロ弱でようやく竹芝ふ頭に到着します。埋め立ての歴史がよく理解できます。

 江戸時代以来、埋め立てで東京の景観は大きく変わったでしょう。

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小石川後楽園 東京・文京区

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住所 文京区後楽1-6-6
面積 70,847.17㎡
開園時間 午前9時~午後5時
休園日 年末年始(12月29日~1月1日)
入場料 一般300円 65歳以上150円 

 水戸徳川家の祖である頼房が江戸時代初期の寛永6年(1629年)に築園した庭園です。2代目の光圀の時に完成、遺臣朱舜水の意見を取り入れ、「円月橋」「西湖提」など中国の風物を取り入れたのが特長となっています。回遊式築山泉水庭園」で、国の特別史跡・特別名勝になっています。

 「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」

 庭園のパンフレットによると、後楽園の名前は、中国の范仲淹(はんちゅうえん)の「岳陽楼記」の言葉から採られています。

 西門から園内に入ると、推定樹齢60年の枝垂桜が目に入ってきます。枝垂桜は、六義園にもありますが、満開の季節を迎えると、圧巻の美しさを楽しむことができます。

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西門

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枝垂桜

 東の方向に歩くと、円月橋があります。朱舜水による設計で、石造りのアーチ型がとても印象的です。水面に映る橋の形が月のように見えることから、「円月橋」と名付けられたのだそうです。中国・杭州の西湖の堤にみたてた「西湖堤」とともに、中国の風雅さがうまく日本の庭園にマッチしています。

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小蘆山

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円月橋

 京都の愛宕山の坂にならって作られた47段の石段を上がると、光圀が将軍家光からもらった「文昌星」像を安置した「八卦堂跡」がありました。文昌星を持つ人は、文化、芸術に優れた人が多いとされ、文学を愛した光圀がその像を大切にした理由がわかります。

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八卦堂跡

 藤田東湖の記念碑、梅林、「不老水」と名付けられた井戸、田圃、水戸藩書院のあった「内庭」などを眺めながら園内を歩くと、庭園の中心にある池は、どこから見ても、美しい景観となっています。琵琶湖を見立てて作られたといい、池の中には、大泉水があり、蓬莱島、竹生島が浮かんでいます。いつまで見ていても飽きません。

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藤田東湖の記念碑

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不老水

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江戸時代の酒亭を再現した九八屋 酒は昼は九分、夜は八分から「九八屋」と名付けられました

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中国風の石畳「延段」 切石と玉石を巧みに組み合わせてあります

 四季によって、庭園の美観は大きく変化します。日本庭園を歩く旅を楽しみたくなります。

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六義園 東京・文京区

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住所 文京区本駒込6-16-3
面積 87,809.41㎡
開園時間 午前9時~午後5時
休園日 年末年始(12月29日~1月1日)
入場料 一般300円 65歳以上150円 

 5代将軍・徳川綱吉の信任が厚く、大老格として活躍した柳沢吉保(川越藩主)が元禄15年(1702年)に築造した庭園です。「回遊式築山泉水」と呼ばれる大名庭園で、園内を歩きながら、四季の景色の移り変わりを楽しめるのが最大の特長です。

 六義園の名前は、中国の詩の分類法「詩の六義」に由来します。和歌では、その中国の分類法にならい、そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌を「六体」に分類しています。柳沢吉保は、「むくさのその」と呼んでいたそうです。

 明治時代には、三菱の創業者・岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年(1938年)、岩崎久弥によって、当時の東京市に寄付され、昭和28年(1953年)、国の特別名勝に指定されました。

 煉瓦造りの正門から入り、「名勝 六義園」の石柱を見て歩くと、内庭大門があります。岩崎家が設置した門で、現在のものは再建されたものですが、当時の雰囲気が伝わってきます。庭に入ると、しだれ桜の大木が目に入ってきます。樹齢60-70年で、高さは約15メートルになります。毎年春、桜は満開になると、滝のように、薄紅色の花をつけるといい、圧巻といいます。満開の桜をぜひ一度は見てみたいものです。

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「名勝 六義園」の石柱

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内庭大門

 岩崎家の邸宅は、このしだれ桜の近くにあったといい、「御殿」と呼ばれていたそうです。

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しだれ桜

 園内を西に歩くと、柳沢吉保が住んだ「六義館」の跡があります。ちょうど、「心泉亭」の建っている場所の近くでしょうか。柳沢吉保が館の正面から眺めたであろう景色を写真で撮影してみるのもいいでしょう。池に浮かぶアーチ式の「蓬莱島」や、「妹山(いもやま)・背山」と呼ばれる中の島の築山、田鶴橋、池畔の「出汐湊(でしおのみなと)」などを見ることができます。しばし、眺めているだけでも、心が落ち着きます。

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柳沢吉保が眺めた景観の現在

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心泉亭

 梅、ツバキ、コブシ、ヤマザクラ、サツキ、アジサイ、ハギ、ヒガンバナ、サザンカ、モミジなどの緑も、自然美を引き立てます。

 茶屋も魅力の一つでしょう。滝や渓流、石組を楽しむことの出来る「滝見茶屋」、お茶を飲むことができる「吹上茶屋」があります。「つつじ茶屋」は岩崎家が造ったもので、柱と梁がツツジとサルスベリの木で造られています。成長が遅いツツジを建材として集めるのは難しく、珍しい茶屋になっています。

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滝見茶屋

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吹上茶屋

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つつじ茶屋

 庭園の北側に行くと、園内で一番高い築山の「藤代峠」があります。紀州(和歌山県)にある同名の峠から名付けられたそうで、その頂上には、「富士見山」があります。

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藤代峠

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中の島の「妹山・背山」を望む

 「和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜わたる月の 影ぞさびしき」

 この歌から名付けられた石の橋「渡月橋」も印象的です。2枚の大きな石で橋が造られています。橋の上から、池や木々などを眺めると、庭園の美しさを満喫できます。

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渡月橋

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