旧芝離宮恩賜庭園 大名庭園や九尺台などを楽しむ  海抜0.2メートル 埋め立ての歴史も感じて、

 東京・港区のJR浜松町駅付近を歩いていると、海抜0.2メートルの地図案内板を目にします。もうすぐ足の下が海面のレベルです。埋立地であることがはっきりと実感できます。この地域はどんな場所だったのか、少し歩いてみると楽しいひと時になります。

 駅を東京湾の方向に歩くと、すぐの所に、「芝離宮恩賜庭園」があります。小石川後楽園と並ぶ大名庭園の一つで、老中・大久保忠朝の庭園だったといいます。

 この地はかつて海でしたが、明暦(1655年ー1658年)の時代に埋め立てられ、忠朝が延宝6年(1678年)から貞享3年(1686年)にかけて、小田原から庭師を呼んで、庭を造ったそうです。

 「後壽園」と忠朝が命名した庭園は、紀州徳川家、有栖川宮家などを経て、1924年、「芝離宮恩賜庭園」として一般公開されました。

 芝離宮恩賜庭園は、日本庭園の集大成である「回遊式庭園」となっています。大きな池(約9000平方メートル)を中心に、泉水、築山、小島、橋、藤棚などがあります。池の水面に、松やけやき、寒椿、ソメイヨシノなどの木々が映ります。

 庭園内で最も高い築山の大山に登ると、池と緑が調和した美を一望できます。庭園内をゆっくりと歩きましたが、空気もどこか新鮮に感じられました。

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 庭園の西には、「九尺台」と呼ばれる高台があります。当時は、海の波打ち際にあり、明治天皇がこの庭園に行幸された際は、この高台から、漁民が漁をする様子を楽しんだといいます、高台と言っても低いもので、今は、ビル群しか見えません。江戸時代から、ずいぶん光景が変わったのでしょう。

 庭園ができた当時は、海水を池に引き入れ、満潮、干潮の様子も楽しめたといいます。今は、海水取水入り口は石垣など跡しか残っていませんが、満潮と干潮で、どんなふうに池や庭園の雰囲気が変わったのか、一度、見てみたい気にもなります。

 海はどこまで埋め立てられたのか。そんな思いで、海の方向に歩いてみるとm、楽しいと思います。海岸通りを西に歩きますが、なかなか海に到達しません。1キロ弱でようやく竹芝ふ頭に到着することができます。

 埋め立ての歴史がよく理解できます。

 江戸時代以来、埋め立てで東京の景観は大きく変わったでしょう。埋め立ての歴史をもう少し学んでみると、おもしろいと思います。

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