日本初となった新橋-横浜駅間の鉄道開通は、明治の文明開化と富国強兵の原動力になりました。新橋-横浜駅間の鉄道開通はいつだったのでしょうか。鉄道建設の経緯や貢献した人々などを含めて、新橋-横浜間の鉄道開通についてまとめました。
新橋-横浜駅間の鉄道開通はいつ? 明治の文明開化と富国強兵の原動力に
新橋-横浜駅間の鉄道開通はいつ?
1872年(明治5年)6月12日、品川-横浜間で仮開業し、10月14日に、新橋-横浜間で正式開業となりました。当時の新橋駅は、現在の汐留地区に、当時の横浜駅は、現在の桜木町駅の場所にありました。
鉄道建設の経緯
「レイロウ(レイルロード)という蒸気車があり、数十人が乗り、力を労せずして旅行ができる。蒸気船とからくりは同じということである」
出漁中に遭難、アメリカの捕鯨船に救助されて米国に渡り、米国の政治、経済、社会、文化などをつぶさに見た中浜万次郎(ジョン万次郎、1827年-1898年)は、米国滞在を振り返ってまとめた「漂客談奇」で、こう、蒸気機関車について書いています。
JR桜木町駅前に設置された日本の鉄道の歴史に関する案内板などによると、ジョン万次郎同様、幕末の日本人は初めて、鉄道の存在を知るものになりました。
鉄道は海岸線近くを通ることになったため、埋め立てやルートの設定・整備で難工事が予想されました。このため、当初は反対の意見も多くありましたが、富国強兵を目指す明治政府の熱意で建設が動き出し、1869年(明治2年)に、鉄道建設が決定されました。
機関車や客車、鉄道資材は英国から船で輸入したため、港のある横浜側から工事が始まったといいます。
鉄道建設に貢献した人々は?
この鉄道開設に大きく貢献したのは、主に、英国の鉄道技師です。初代鉄道頭の井上勝氏や、その補佐役の鉄道助の佐藤政養氏の下、エドモント・モレル氏が1870年、鉄道敷設を計画していた明治政府に招請されて来日、初代鉄道建築師長として、技術指導や人材育成にあたりました。
ジョン・ダイアック氏はモレル氏の指揮下、新橋-横浜間の測量に従事しました。新橋にある「ゼロマイル」の標坑は彼の手によるものです。また、フランシス・ヘンリート・トレビシック氏は機関方頭取、汽車監督として活躍しました。トレビシック氏は、蒸気機関車の発明者の一人、リチャード・トレビシック氏の孫でした。
英国の技術によって、日本の鉄道の布石が敷かれました。その後、横浜港を抱える横浜は日本の玄関口となり、単に貨物だけでなく、文化、技術、情報の拠点として大いに発展しました。
まとめ
富国強兵への明治政府の強い希求と、外国人技師の技術力が、日本初の新橋-横浜駅間の鉄道開通という「日本の快挙」を支えたことがわかります。鉄道開通は、明治・文明開化の先駆けとなり、欧米文化への人々の関心を一層高め、日本の発展を大幅に飛躍させることになりました。
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