オーストリアの国民議会(下院)の総選挙(10月15日に投開票)で、中道右派の国民党が第1党となり、セバスティアン・クルツ党首(31)が首相に就任する見通しになりました。就任すれば、欧州連合(EU)で最年少の首相となります。フランスのマクロン大統領(39)と同様、クルツ氏は、その若さに加えて、国民党を大きく変え、新たな政治潮流を生み出してきました。
クルツ氏のプロフィールをまとめてみました(イラストは、「いらすとや」のものです)。
◇セバスティアン・クルツ(Sebastian Kurz)氏の経歴
1986年8月27日、オーストリアの首都ウィーンで生まれました。当時、父親は技師、母親は教師でした。
2004年から2年間、陸軍で兵役に就いた後、ウィーン大学法学部に入学しましたが、政治活動が忙しくなり以来、通学していません。
◇政治活動
2003年、国民党の青年部に入って、政治活動を始めました。2009年には青年部代表になり、2010年から2011年まで、ウィーン市議会議員を務めました。
2013年の国民議会選挙で当選して、国政に進出。同年12月には、27歳で、外相に就任しました。2017年5月には、ミッターレーナー国民党党首の辞任を受けた新党首選で、98%を超す票を獲得して、6月1日、国民党党首に就任しました。
◇ニックネーム
27歳という若さで外相に就任した華々しさから、オーストリア政界の「風雲児」「改革派」と呼ばれています。戦後、国政を長く担ってきた国民党を大きく変えつつあるという、国民からの期待感が背景にあります。
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◇「ニュー国民党」を演出
穏健な中道路線から、右寄りの政策も取り入れ、「ニュー国民党」を演出しています。
その主張が顕著に現れているのが、難民、移民政策です。2015年に起きた欧州の難民危機の中で、オーストリアにも多くの難民が流入し、治安が悪化するのでは、職を奪われるのでは、などの不安が高まっていますが、クルツ氏は、欧州に流入する難民、移民数の制限、オーストリアで生活する難民、移民に対する社会保障政策の削減などを打ち出してきました。
「自由党の政策を盗んだ」と極右・自由党のシュトラッヘ党首が批判するほどです。クルツ氏が党首に就任するまでは、世論調査で、自由党が支持率でトップに立っていましたが、クルツ氏の党改革で、国民党の党勢を大きく変えました。
クルツ氏はこのほか、減税や非核政策の推進などを訴えています。
フランスでは、マクロン大統領が新しい政治運動を立ち上げ、新党の「共和国前進」に結び付けましたが、オーストリアでも、クルツ氏をマクロン大統領の新しい政治運動に例える声が高まっています。
◇選挙結果
暫定の集計結果によると、国民党が31.4%でトップに立ち、自由党が27.4%、中道左派の社会民主党が26.7%となっています。国民党は第1党となるものの過半数を維持することはできず、政権運営には他党との連立が必要になってきます。
総選挙前までは、国民党が、中道左派の社会民主党と大連立を組んでいましたが、クルツ氏は、この大連立の解消に動いており、極右の自由党と連立する可能性が高まっています。
自由党は2000年から2005年まで政権に参加しており、それ以来の政権復帰となります。
◇課題
国民党が自由党と手を組めば、難民、移民に厳しい政権が誕生します。難民、移民問題がEU域内で大きな問題となる中、他のEU加盟国とのあつれきが強まる恐れもあります。
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