京急川崎駅から京急大師線に乗って、一つ目の駅、港町(川崎市)に着くと、ホームの壁に描かれた音符が目に入ってきます。「港町」の駅名の下に、青い海と白い波、そこに浮かぶ赤色の船、カモメ、そして、「港町十三番地」の曲のメロディーが書かれています=写真=。
どこか心和む雰囲気です。この一帯は、「レコード製造・販売の発祥の地」でした。
駅にある説明によると、今、高層マンションが建っている駅周辺は、日本初のレコード会社・日本蓄音器商会(日本コロンビアの前身)の川崎工場があった場所なのだそうです。
明治41年(1908年)、創業者であるフレデリック・ホイットニー・ホーン氏が工場の建設に着手し、翌明治42年(1909年)4月から操業を開始したといいます。
同年5月には、国産第一号の片面円盤レコードを販売、明治43年(1910年)には、国産初の蓄音機「ニッポノホン」を発売したそうです。
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松井須磨子の「カチューシャの唄」や、並木路子・霧島昇の「リンゴの唄」が大ヒット、以来、古賀正男メロディーや美空ひばりの名曲が日本コロンビアで製造されて多くの人々に愛されました。
昭和6年には、丸い円に、Colombiaの文字と音符をかたどった日本コロンビアのマークのネオン塔が完成し、川崎の名所にもなりました。国内初のLPレコードをはじめ、CD、CDプレーヤー、テレビ、ラジオなどが川崎工場で製造されてきました。
当初は演歌や歌謡曲が中心でしたが、学校音楽教材のレコード制作や、グループサウンズ、アニメなど幅広い音楽を手掛けました。川崎工場は2007年に閉鎖されました。
歩いていると、予想しなかった歴史に出会うことがあります。「音楽のまち・かわさき」の一端を知ることができて、充実した散策になるでしょう。
多摩川沿いに建つ川崎工場や、マークがわかります。