「破戒や「夜明け前」などの自然主義小説で知られる島崎藤村(1872-1943年)はフランスなど旅先に、芭蕉全集を持参しました。芭蕉の「奥の細道」などを読むと、不思議な力と暗示を得たと言います。読書の奥深さを感じます。
「旅の鞄の中に『芭蕉全集』を入れて参りました。斯うした客舎で『奥の細道』などを読んでみることは、それが自分に不思議な力と暗示とを与えて呉れるばかりでなく、又国の言葉に有難味を味わふというばかりでなく、自分等の国のことと当地にあるものとを比較して見る便宜にもなるのです」
藤村は著書「戦争と巴里」で、こう書いています。
藤村は1913年、不惑を超えてから、フランスに旅立ちました。パリに滞在するとともにリモージュなどに出かけましたが、この4年間、藤村は、芭蕉全集を読み続けました。
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」。こんな出だしで始まる「奥の細道」は無常観が根底にあります。すべての生あるものは無に帰す。無常、あわれを感じる。その中で、美を見つける、ということがこの紀行文の中に盛り込まれています。
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異国の地フランスで、この芭蕉全集を読むことで、藤村は様々なことを考え、多くの発想を得たのでしょう。それが、不思議な力であり、暗示だったのです。外国にいるということが思想の触媒になったに違いありません。
藤村はまた、国の言葉、つまり、日本語の有難さも感じています。外国にいても、母国語の日本語で本を読める。そして、母国と外国を比較して見る。さらに、多くのことを知り、深く考える機会になったのでしょう。
私も約20年前、欧州の国々に滞在しました。インターネットがない時代でしたから、日本語の新聞や本を読むこともなかなかできませんでした。日本から持って行った新聞や本は何度も読み返しました。新聞の広告欄も擦り切れるまでじっくりと読んだものです。
今も海外出張の際は、30冊から50冊を持参しています。重さを我慢しなくてはなりませんが、日本語で読めることにいつも感謝し、多くの知識を得ています。旅先で、どんな書を読むか。座右の書を探す旅が楽しくなります。
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