相撲は多くの人々に愛され、親しまれてきたスポーツだなあ、と感じられるでしょう。馬込文士村(東京・大田区)を地図を頼りに散策すると、小説家や劇作家、詩人らの文士たちが昭和初期、相撲に凝り、本門寺裏手の民家の庭で、大相撲大会を開いていたことがわかります。
「はっけよい、残った、残った」。
JR大森駅で下車して、天祖神社横の階段を登っていくと、壁に、文士たちが相撲に興じる様子を描いたレリーフがあります。土俵上で、がっぷり四つに組む力士(文士)がいます。行司が取り組みを見守っています。
土俵の外では、取り組みに備える力士(文士)たちが、取り組みを凝視しています。カメラで、取り組みを撮影する人もいます。
熱気が伝わってくるようです。
大正末期から昭和にかけて、次々に、文士たちが馬込に移り住み、文士村ができましたが、昭和6年(1930年)、文士たちの間で、相撲の話が盛り上がり、「大森相撲協会」を立ち上げました。
参加したのは、山本周五郎や尾崎士郎らの中心人物をはじめ、吉田甲子太郎、サトウ・ハチロー、秋田忠義、室伏高信らでした。文士たちはそれぞれ、四股名を付け、番付表を作って、相撲の技を競ったといいます。
地図では、相撲が行われたのは、本門寺公園になっています。本門寺の五重塔近くの近くにある、すり鉢状のような公園です。樹木が多く、その中に、広場があります。
ここで、文士たちは相撲をしたのでしょうか。残念ながら、相撲が行われた場所は特定できませんが、力士になった文士たちの姿が目に浮かんでくるようです。
「相撲は歌舞伎・遊郭と並んで江戸の三大娯楽のひとつでした。歌舞伎・遊郭が軟派の遊びで、硬派のリキミどころといえば唯一、この相撲だけですから、その熱気たるや、想像以上だったようです」
江戸の文化に詳しかった文筆家・杉浦日向子さん(1958年-2005年)は、著書「一日江戸人」で、こう書いています。相撲が江戸時代から脈々と、人々に愛されてきたことがわかります。
馬込村の大相撲大会の様子、さらには、文士たちが、相撲にどんな思いを抱いていたのか、エッセーなどを通して調べると面白いと思います。
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