神田明神は、良く知られ、多くの人々に親しまれている神社の一つです。神田明神の由来や歴史はどうなっているのでしょうか。時代小説の舞台ともなっている神田明神=写真=を歩いてみました。
神田明神の由来や歴史は?
神田明神(正式名は神田神社)は、天平2年(730年)の創建で、江戸東京で最も歴史のある神社の一つです。
初めは、東京・大手町の将門塚周辺にありましたが、徳川家康が江戸幕府を開いた際、神田のこの地に遷座したといいます。東京都心108町会の総氏神様で、
縁結び
商売繁盛
除災厄除
などの神徳を持っているそうです。
一年中、多くの参拝者でにぎわいますが、特に、年初には、商売繁盛を願って初詣する会社の人々がニュースで取り上げられています。
社殿は、日本初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート・総漆朱塗造と言われています。
神田祭が2年に1度行われます。江戸時代には、徳川将軍が上覧したため、御用祭、天下祭とも呼ばれたといいます。
時代小説の舞台を歩く
「縞(しま)の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地(きじ)の堅気とみえる町人風であった。色のあさ黒い、鼻の高い、芸人か何ぞのように表情に富んだ眼を持っているのが、彼の細長い顔の著しい特徴であった。かれは神田の半七という岡っ引きで、その妹は神田の明神下で常磐津の師匠をしている」
岡本綺堂の時代推理小説「半七捕物帳」を読むと、主人公の半七ととに、神田明神が描かれています。半七は日本橋の木綿店(もめんだな)の番頭のせがれとして生まれ、その後、岡っ引になって神田に住み、妹も明神下に住んでいたのだそうです。
遠藤家(屋号、井政)の旧店舗・住宅主屋
境内を出て、少し歩くと、宮本公園があり、古風な木造住宅が建っています。
江戸時代以来、材木商を営んできた遠藤家(屋号、井政)の旧店舗・住宅主屋です。昭和2年(1927年)、鎌倉河岸(現内神田1丁目)に建てられ、一度は府中市に移されましたが、千代田区の文化財指定を受けて、宮本公園に移築されました。戦前の店舗形式をよく伝えているといいます。
まとめ
神田明神に実際に足を運んで、神社の由来を学ぶと、現代まで脈々と流れてきた歴史が身近なものになってきます。境内にいるだけで、ゆったりと心が和みます。神田明神の歴史を知り、戦前の店舗も見る。時代小説に端を発した街歩きは、心豊かなものになります。
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