両国には何がある? 両国の由来や歴史とは? 見どころを知って、歴史散歩を楽しもう

 江戸時代から現代にかけて、情緒あふれる下町文化を築いた両国は江戸時代、「本所」と呼ばれた場所です。浅草などと並ぶ有数の繁華街でした。これまで多くの変遷を経てきた両国には何があるのでしょうか。また、両国の由来や歴史とはどうなっているのでしょうか。見どころを知って、歴史散歩を楽しみましょう。

両国には何がある? 見どころを知って、歴史散歩を楽しもう

 両国には何があるのでしょうか。
 両国の見どころを紹介します。多くの名所、旧跡があります。

回向院

 当初は、隅田川の西岸の東日本橋側が栄えましたが、次第に、東側も、回向院の門前町として人通りが増えていきました。8代将軍吉宗が1773年、大飢饉で犠牲となった人々を慰霊するために、両国で20発の花火を打ち上げました。

 以来、江戸の夏の夕涼みとして、両国の花火が人気になり、両国橋を中心に、多くの江戸っ子たちが夜空に上がる色鮮やかな花火を楽しみました。隅田川から、屋形船で花火を楽しむ人々もおり、両岸では、料亭が大にぎわいでした。

 回向院の境内では、相撲が行われました。また、回向院では、寺社が秘蔵物や宝物を公開して資金を集める「出開帳」が行われました。1676年から1866年までの160年間、江戸では741回、出開帳が行われましたが、そのうち、回向院が2割強の166回を占めました。

 続いて、深川永大寺が58回、湯島天神が31回だったそうです。回向院での出開帳が圧倒的に多く、人々でにぎわう繁華街であったことがわかります。

与兵衛鮨発祥の地

 今は、回向院の門前町の面影はあまりありませんが、その一角を歩いていると、「与兵衛鮨発祥の地」の案内板があります。

 江戸時代後期の文政7年(1824年)、小泉与兵衛(1799年-1858年)が、大阪風の押し寿司ではなく、鮮度を保って、素早く作る江戸前鮨を考案したのだそうです。酢飯の上に、生の魚をのせて握るものでした。

 最初は毎日、岡持に鮨を入れて売り歩きましたが、大人気となり、屋台、そして、店舗を構えるようになったといいます。

 「鯛比良目(ひらめ)いつも風味は与兵衛ずし買手は見世にまって折詰」

 こんな狂歌がはやったことが案内板に書かれています。今に伝わる江戸前鮨の由縁がわかります。

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「与兵衛鮨発祥の地」

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勝海舟生誕の地

 さらに、東方向に歩くと、両国公園に到着し、ここに、「勝海舟生誕の地」の案内板があります。

 勝海舟は文政6年(1823年)、この地に生まれ、7歳まで過ごしました。その後、本所で過ごした後、弘化3年(1846年)、赤坂に転居しました。

 氷解塾を開いて、西洋哲学を教授、日本が開国へと舵を切る中、軍艦操練所頭取や軍艦奉行などを務め、西郷隆盛との会談で、江戸城の無血開城を実現させました。

 勝海舟は、四谷番町に住む与力からオランダの兵書を借りて、筆写しました。与力が門外不出の書物としたため、勝海舟は夜間だけ、借り出し、筆写しました。そのため、勝海舟は当時住んでいた 本所から四谷番町まで、往復約12キロを歩いて通い詰め、半年で全部を写し取ったそうです。

 本所-四谷番町は相当な距離ですが、本所から赤坂まで歩き、江戸時代の人々の健脚ぶりを体感してみるのも面白いでしょう。

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「勝海舟生誕の地」

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芥川龍之介生育の地

 JR両国駅の方に行くと、「芥川龍之介生育の地」の案内板があります。大正期の文学界を代表する芥川は明治25年(1892年)、東京・京橋に生まれましたが、生後7か月の時、母親のふくが発病したため、母の実家に引き取られ、18歳の時、新宿に転居するまで、ここに住みました。芥川家の長兄の道草は、文学、美術への造詣が深く、俳句や盆栽にも親しんだといいます。

 こんな環境の中で、芥川龍之介も幼い頃から、読書や文字練習などの手厚い教育を受けました。近くの回向院にあった幼稚園、小学校に通い、境内で遊んだことは、「本所両国」「や「追憶」にも書かれています。その後、府立第3中学(現両国高校)を経て、東京帝国大学英文科に入学、夏目漱石の門に入り、文壇にデビューしました。

 少し歩いた所には、「杜子春」の一部を刻んだ文学碑があります。

その他の名所、旧跡

 両国には、その他、

 浮世絵師の葛飾北斎の生誕地
 歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥の終焉地
 幕臣で兵学家の江川太郎左衛門の終焉地
 諸藩の上屋敷跡
 
 などもあります。

 また、旧安田庭園は、日本庭園の美を誇っています。

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両国の由来や歴史とは?

 両国という地名の由来は、隅田川に架かる両国橋に由来します。

 江戸初期は、江戸城を防衛する狙いから、隅田川には千住大橋しか架けられておらず、明暦の大火(1657年)の時には、多くの人々が隅田川を渡れずに死亡しました。

 江戸幕府は、この反省から、武蔵国と下総国の2国を結ぶ「両国橋」を架けました。江戸の人口増加を受けて、江戸幕府は、本所、深川地域の開発を進めていましたが、この両国橋が出来たことで、本所、深川地域は一層、発展しました。その後、本所は両国と呼ばれるようになりました。

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両国へのアクセス

 両国駅を目指すといいでしょう。

まとめ

 ひとつひとつ名所、旧跡を訪ねて歩くと、歴史の深さを感じ取ることができます。さて、今度は、どんな発見があるか――。次回の両国歩きが楽しくなるでしょう。

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