相撲の街・両国を満喫 回向院や旧国技館、野見宿禰神社などの歴史も学んで

 東京・墨田区のJR両国駅周辺を歩くと、相撲の街を満喫することができます。回向院や旧国技館、野見宿禰神社などの歴史も学ぶと、相撲の街の魅力はさらに増します。

 トップの写真は、JR両国駅構内に掲げられた「両国大相撲繁栄之図」(歌川国郷)。江戸時代の相撲の様子がよくわかります。

相撲の街・両国を満喫

回向院

 日本橋側から両国橋を渡って両国側に入ると、回向院があり、江戸時代には、門前町が広がっていました。この回向院の境内で、江戸後期の明和5年(1768年)から明治42年(1909年)まで76年間、勧進相撲が行われたのだそうです。

 勧進相撲というのは、公共社会事業の資金集めのために行ったものだといいます。境内には、相撲協会が歴代の相撲年寄の慰霊のために建てた「力塚の碑」があります。

DSC_7755
両国駅前にある銅像

旧国技館

 相撲人気は高まる一方でしたが、その場は明治42年から、回向院の隣に建てた旧国技館に移りました。旧国技館は、東京駅などを手掛けた辰野金吾と葛西萬治が設計を担当、大きな円形ドームが特長で、1万3千人を収容できる施設でした。

 ラジオ実況中継開始(昭和3年=1928)年で、一段と相撲は盛り上がりましたが、昭和20(1945)年の東京大空襲で、焼失してしまいました。その後は、蔵前国技館時代を経て、現在は、新国技館で相撲が行われています。

スポンサードリンク

野見宿禰神社

 JR両国駅の北口から錦糸町方向に、北斎通りを歩くと、「野見宿禰神社」があります。

 案内掲示板によると、この神社の東側にはかつて、相撲の高砂部屋があり、明治18年(1885年)、親方の高砂浦五郎が、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのだそうです。それ以来、相撲の本場所前には、相撲協会の神事が行われています。

 昭和27年(1952年)には、歴代横綱石碑が相撲協会によって建てられ、横綱の名前が刻まれているそうです。神社の石垣の石柱には、「大日本相撲協会」「理事一同」の名前、さらには、各相撲部屋の親方らの名前が刻まれ、日本の相撲にとって神聖な場所であることがわかります。

DSC_8319
野見宿禰神社
DSC_8325
同神社の石柱

◎復刻木版画「葛飾北斎」浮世絵『御厩川岸より両国橋夕陽見』(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)
ニッポンの浮世絵100  12 写楽・竹村定之進/広重・両国花火

まとめ

 両国駅北口には、国技館があります。相撲部屋やちゃんこ料理店もあります。さらには、力士の銅像、手形、写真、ポスターなどを街の随所で見ることができます。両国に、国技館があることは誰でも知っていますが、実際に歩いて見ると、こんなにたくさん、相撲に関する歴史に出会うことができます。街歩きの貴重さを感じる豊かな散策にもなります。 

あわせて読みたい
両国で歴史散歩を楽しむ 与兵衛鮨発祥の地や勝海舟の生誕の地、芥川龍之介の成育の地など
両国駅の歴史や、昔から現在までの変遷は? 謎のホームとは? 

関連記事広告