♫「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」。
この鉄道唱歌は時々、テレビなどで流れますが、明治時代、新橋駅がどこにあったのか知らない人もいるかもしれません。今と同じ場所かなあ、と漠然と思う方もいるかもしれませんが、今の新橋駅から少し東に行った汐留地区にあります。
当時の駅舎を復元させた「旧新橋停車場」があり、日本の鉄道発祥の地を実感することができます。
旧新橋停車場とはどんな施設で、いつオープンしたのでしょうか。鉄道歴史展示室もおすすめです。行き方も含めて、旧新橋停車場についてまとめました。
旧新橋停車場とは
旧新橋停車場は、いつオープン?
新橋停車場は明治5年(1872年)10月(太陽暦)、汐留で開業しました。旧新橋停車場は、明治当時の駅舎の外観を忠実に復元したもので、2003年にオープンしました。場所も明治時代と同じです。
汐留駅跡地再開発に伴う1991年からの発掘作業で見つかったプラットホームや正面階段などの遺構を埋め戻し、その上に駅舎を復元しました。
鉄道ファン2018年10月号【電子書籍】[ 鉄道ファン編集部 ]
明治文明開化の象徴
1872年の写真と比べると、駅舎の雰囲気を伝えていることがわかります。細部までにこだわった建築になっています。
明治文明開化の象徴が再現されています。
新橋停車場の歴史
明治期の新橋停車場の駅舎は、アメリカ人ブリジェンスによる設計で、木骨石張りの構造でした。当時は西洋建築が珍しく、その後、西洋風に整備された銀座地区の先駆けともなりました。
大正14年(1914年)、東京駅が新設されたのに伴い、旅客輸送は、新橋停車場から東京駅に移り、それまでの烏森駅が新橋駅となりました。新橋停車場は貨物専用の駅となり、汐留駅と改称されました。駅舎は大正12年(1923年)の関東大震災で焼失、その後の汐留駅舎改良のため、新橋停車場のプラットホームや構内の諸施設も解体されました。
汐留駅は1986年、貨物専用駅の役割を終えましたが、発掘調査で、遺構が見つかり、その遺構を利用して、新橋停車場を復元することになりました。
明治時代、この駅舎から南に向かって、鉄道が伸びていました。横浜までは現在、東海道線で20分ちょっとですが、当時は53分かかったといいます。プラットホームの石積の遺構や再現された軌道を見ることもできます。
鉄道歴史展示室もおすすめ
1階の展示室では、新橋停車場の開業当時の切符や、お茶を入れた信楽焼の汽車土瓶などが展示されています。汽車土瓶は、駅弁とともに販売されたものです。
また、新橋停車場の映像も見ることができます。年表や、汐留地区の地図などの資料もあり、日本鉄道の歴史も学ぶことが出来ます。
行き方も紹介
旧新橋停車場の住所は、東京都港区東新橋1-5-3です。
JR新橋駅から徒歩5分です。
まとめ
今は、高層ビルが立ち並び、街は大きく変わりましたが、新橋停車場の駅舎を見ると、文明開化の雰囲気が味わえるようです。明治期の人々の息吹も伝わってくるようです。快適な歴史散歩になります。
あわせて読みたい
入谷朝顔市 2021年は中止 通販での購入がおすすめ 2019年概要も
川崎大師風鈴市2021 風鈴の値段や種類は? 記念の御朱印もゲット
東京大学発祥の地(神田錦町)を巡る その意味は? 【発祥の地・東京編】
関連記事広告