駒形堂は、浅草寺の発祥の地 江戸時代、駒形堂には、どんな歴史が?

 駒形堂は、浅草寺の発祥の地とされています。浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩が約1400年前、隅田川から現れ、初めて奉安された地に建つお堂だからです。浅草寺に属する駒形堂は今や、人気の観光スポットのひとつですが、歴史を調べると、江戸時代には、周辺に、船文化があったことがわかります。

 駒形堂は、浅草通りを直進し、隅田川にかかる駒形橋の手前にあります。創建は古く、朱雀天皇時代の天慶5年(942年)です。

 江戸時代、近くの隅田川には船着き場があり、渡しや船宿で、大いに賑わったそうです。浅草寺に参拝に訪れた人々はまず、舟で駒形堂前の隅田川を降り、駒形堂でお参りした後、浅草寺に向かったといいます。今とは、人の流れが違います。

 葛飾北斎や安藤広重が浮世絵に描いた場所でもあります。駒形堂の名前の由来は、隅田川の舟上から見ると、白駒がかけているようなので、「駒駆け堂」とされ、それがなまったことなどがあるそうです。

葛飾北斎 Katsushika Hokusai 「馬盡 駒形堂」 額装アート作品

 「『人は陸を、物は水を』。これが公儀が定めた交通政策の基本概念だった」

 「江戸湾(現・東京湾)品川沖には、菱垣廻船、弁才船などの大形貨物船が投錨した。積荷は小型のはしけに移されて、江戸市中へと運ばれる。その横持ち(配送)に利用されたのが、大川(隅田川)をはじめとする河川だ」

 「大川は水運のかなめであると同時に、船遊び・川釣りなど、江戸に暮らす者の娯楽においても重要な役割を果たした」

 作家、山本一力さんの著書「江戸は心意気」を読むと、隅田川の活気が伝わってきます。まさに、駒形堂も、その船文化の一つでした。

江戸は心意気 (朝日文庫)

 浅草へは現在、地下鉄やバスで訪れることが多いですが、江戸時代に船文化があったことを知ると、一層、興味深く感じられます。スカイツリーが聳え立つのを眺めながら、一度、船に乗って隅田川を散策するのも、楽しい歴史散歩になるでしょう。

 「江戸」が体験できます。

 浅草寺周辺はいつも通り、賑わいを見せています。寿司、うなぎ、蕎麦、とんかつなどの老舗があります。その一方で、ブティックやレストランなど新しいスタイルの店もあり、新旧がマッチしています。

 外国人観光客が多く訪れるのも理解できます。浅草の魅力をもっと、自分なりに研究すると楽しいでしょう。

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