江戸時代、庶民に人気だったあさり飯の深川飯を、東京・清澄白河の店で食べました。深川飯は、大粒で肉厚のあさりがしめじと炊き込まれ、食べ応えがありました。深川飯の由来はどうなっているのでしょうか。江戸の郷土料理の文化をしっかり学びたいものです。
深川飯を清澄白河で食べる
幹線道路の清洲橋通りを一本、中に入った深川資料館通りに、深川飯の店がいくつか並んでいます。寺院も多い中、鰻、豆腐、蕎麦、おでん種、だんごなどを 売る老舗があり、下町情緒たっぷりです。
昼過ぎでしたが、深川飯の店では、「売り切れ」の店もあり、人気の高さがわかります。「深川釜匠」という店に入ってみました。
あさりとしめじを、こだわりのだしでふっくらと炊き上げた「深川めし」(1090円)、ねぎや油揚げとともに煮込んだあさり汁を豪快にかけ、半熟卵でとじ た「深川丼ぶり」(1295円)、そして、両方の味が楽しめる「深川セット」(1915円)などがありましたが、まずは、一番オーソドックスな「深川め し」を頼みました。
刻み海苔やねぎがたっぷり丼にのり、その下を見ると、大粒のあさりが丼一杯に炊き込まれています。一部に、おこげもある炊き立ての「深川めし」をほおばりました。あさりの出汁がしっかり、ご飯にしみ込んでおり、江戸の郷土料理の味を堪能しました。
無印良品 ごはんにかける あさりと生姜の深川飯 140g(1人前) 44444948
深川飯の由来は? 江戸の郷土料理を学ぶ
「から蛤(はまぐり)、からあさり」
江戸では、漁師や子供が貝を桶に入れて、天秤棒で担ぎ、こう叫びながら、あさりなどを売り歩きました。からは、中身がないということではなくて、殻つき の、という意味でした。
深川や品川沖、佃沖などでは、潮干狩りが行われ、あさりは人気の食べ物でしたが、あさり飯は最初、漁師のまかない飯でした。
そのまかない飯が次第に、江戸の町中の飯屋でも作られるようになり、一気に、人気の食べ物になりました。深川飯の「深川」は、深川産のあさりを使ったことから名付けられました。
浅草には、深川飯の屋台があったそうです。油揚げ、豆腐、刻みねぎとともに、あさりを味噌で煮込み、ご飯にかけて食べたといいます。江戸のファーストフードだったのでしょう。こちらも人気を博しました。
まとめ
こんな深川飯ですが、清澄白河や門前仲町などに行かないと、なかなか食べることができないのはちょっと、残念です。肉や魚料理など美味しい食事がたくさん あるせいなのでしょうか。ただ、深川飯は、江戸を代表する庶民の食事です。鰻や寿司、ドジョウなど江戸の食文化をもっともっと学ぶと楽しいでしょう。
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