聖蹟蒲田梅屋敷公園は、江戸時代、梅の名所だった場所 歌川広重も浮世絵を描く

 京浜急行の梅屋敷駅で下車して、第一京浜(国道15号線)を歩くと、聖蹟蒲田梅屋敷公園があります。ちょうど、京浜急行線と第一京浜にはさまれた場所です。江戸時代、梅の名所として人気の高かった場所で、歌川広重も「蒲田の梅園」として浮世絵に描いています。

聖蹟蒲田梅屋敷公園は、江戸時代、梅の名所だった場所

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 公園内には、白梅、紅梅合わせて約100本があり、2月中旬が見ごろになります。

 梅は平安時代から植えられ、庶民に親しまれてきましたが、江戸時代になって、一気に、人気が高まり、亀戸の梅林ともに、梅の名所になりました。案内板には、広重の浮世絵も小さいながら紹介されています。

 江戸・文政年間(1818年-1830年)年間の初め、商人の山本久三郎が、梅の木を植えて庭園を造り、茶屋を始めました。品川と川崎のほぼ中間にあったことから、多くの旅人でにぎわいました。江戸庶民が愛した梅干しはほとんどが、この梅屋敷の梅から作ったものだったそうです。

 「和中散」と呼ばれた薬が江戸時代にありました。食あたりや、水あたり、暑気あたり、さらには寝冷えなどに効果のある薬で、道中常備薬として、旅人に愛用されました。この薬も、ここにあった山本の薬屋で売られていたといいます。

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歌川広重も浮世絵を描く 歴史に残る場所

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 江戸時代、最後の別れを蒲田の梅園で行う人々が多かったそうです。藩士や商人らを送る際、江戸の高輪や品川で、送別の宴を催し、川崎に行って、再度、送別の宴を行いました。さらに、これでも名残惜しい時は、川崎から蒲田の梅園に戻って、本当に、最後の別れを惜しんだ人々もいたといいます。

 初春なら、梅は、人生の中で、印象に残る植物になったでしょう。

 明治天皇がこの梅園を好んだこともありました。明治元年(1868年)から明治30年(1897年)の間に9回、行幸しました。小梅一株を自ら植えました。

 「明治天皇行幸所蒲田梅屋敷」の石碑も建っています。また、伊藤博文や木戸孝允らが新年の宴や日頃の会合をを梅園で持ちました。

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聖蹟蒲田梅屋敷公園へのアクセス

 聖蹟蒲田梅屋敷公園の住所は、東京都大田区蒲田3-25-6です。

 京浜急行・梅屋敷駅から徒歩約5分です。

まとめ

 聖蹟蒲田梅屋敷公園は今は、そんなに大きな公園ではありませんが、公園内を歩くと、歴史も感じることができます。

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