日本橋人形町をぶらりと散策 甘酒横丁など昔からの下町情緒を満喫

 東京の日本橋人形町一帯をぶらりと散策すると、数多くの名所、旧跡に出会うことができます。肉や和菓子を売る老舗もあります。甘酒横丁など昔からの下町情緒を満喫することができます。日本橋人形町が人気となっている理由です。

日本橋人形町をぶらりと散策 甘酒横丁など昔からの下町情緒を満喫

甘酒横丁

 「甘酒横丁」の交差点は、地下鉄日比谷線の人形町駅を地上に出ると、目に入ってきます。

 明治の頃、この交差点の近くに「尾張屋」という甘酒屋があったことから、甘酒横丁と呼ばれるようになったそうです。明治の甘酒はどんな味だったのでしょうか。

 明治座までは、約400メートルの区間が商店街になっています。

 今でも、酒屋や和菓子屋で甘酒が売られています。少し小路を入ると、

 すき焼き、しゃぶしゃぶで知られる「今半」、
 やきとんの「備前屋」、
 蕎麦やの「東嶋屋」があります。

 いずれも、古風な建物で、下町情緒は一層、高まります。

日本橋人形町の名前の由来

 江戸時代は、現在の人形町交差点の北側に、江戸でも有数の歓楽街があったそうです。中村座、市村座では歌舞伎が上演されました。また、人形操り芝居や浄瑠璃芝居も行われ、多くの人形師がこの一帯に住んでいたといいます。

 こんな町の風情から、明治時代になると、「人形町」がこの地域の名前として採用されました。

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 歩くと、「からくり櫓(やぐら)」があります。大きな櫓です。下段の緞帳が開くと、落語家の人形が登場し、「人形町の由来」を話すそうです。また、上段の絵が回転すると、江戸の町並と町人の暮らしが再現される仕組みになっています。

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谷崎潤一郎の生誕の地

 文豪、谷崎潤一郎の生誕の地も近くにあります。「谷崎潤一郎生誕の地 1886-1965」の石碑が目に入ってきます。

 谷崎は、ここにあった祖父経営の谷崎活版所で生まれ、阪本尋常高等小学校に入学しましたが、父の事業の失敗で、近くを転々としたといいます。若くから文筆にすぐれ、東京帝国大学国文科を中退後、第二次「新思潮」の同人となりました。

 その後の著作活動で、

 「刺青」
 「少年」
 「蓼食う虫」
 「春琴抄」
 「細雪」

 などの小説を書き、日本近代文学を代 表する小説家の一人となりました。

 谷崎の人生を感じると、改めて、谷崎の小説を読んでみたくなります。

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まとめ

 そのまま日本橋人形町を歩くと、日本橋兜町に出ます。東京証券取引所や証券会社が立ち並びます。さらに、日本橋、八重洲、そして、JR東京駅にまで行くこともできます。

 地図を眺めるだけでなく、実際、歩いて見ると、町の印象は鮮明に残ります。江戸を感じ、明治を感じ、そして、現代の町も眺め、歩いて、見る。お金をかけなくても、街歩きは十分に楽しめることを実感できます。心豊かな旅となります。

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