ペリー・黒船来航の影響の大きさを感じる 東京・築地に、江戸幕府の軍艦操練所跡を訪れて
  ペリー率いる黒船来航(嘉永6年=1853年)の影響の大きさを改めて、感じました。東京・築地に行った時、江戸幕府が黒船来航に刺激されて、西洋式海軍の整備のため、軍艦操練所を創設した史実を知ったからです。軍艦操練所跡を訪れての感想です。黒船来航で、江戸幕府は鎖国から開国への転換を迫られましたが、その事実の大きさを身近な所から知ることができました。

軍艦操練所跡は、昨日のブログで書いた勝鬨橋に向かう途中にありました。築地市場に近い場所で、住所は中央区築地6丁目です。

案内掲示板によると、黒船の来航で西洋式海軍の必要性を感じた江戸幕府は安政4年(1857年)、旗本や御家人、諸藩の藩士の中から希望者を募り、この地にあった築地講武所内に、軍艦の運転を練習させる軍艦練所を創設しました。

永井尚志・総督の下、長崎の海軍伝習所の修業生が教授陣を務めました。のちに、勝海舟が頭取となり、慶應2年(1876年)、海軍所と改称されました。

跡地に立つと、軍艦の運転を学んだ藩士らの息吹が伝わってくるようです。歴史の流れを感じ取ることができます。歴史の転換期にあって、この地も激動していたことがわかります。

江戸から明治へ、この大転換期の歴史をもう一度、学び返そうと思います。