新島襄は、同志社英学校(現在の同志社大学)を創設した教育者として知られています。新島襄の幼名は何で、その読み方や命名の由来はどうなっているのでしょうか。神田の生誕の地を訪れると、その謎を解くことができます。新島襄の名前についてまとめました。
新島襄の幼名の読み方や命名の由来は? 神田の生誕の地を訪れる
東京・神田錦町には、「七五三太(しめた)公園」=上の写真=という、ちょっと不思議な名前の公園があります。案内板によると、江戸時代、この地には、安中藩板倉伊予守の江戸藩邸があり、のちに同志社英学校(現在の同志社大学)を創設した新島襄が1843年2月12日(旧暦の天保14年1月14日)に生まれ、21歳になるまで、ここで過ごしたのだそうです。
新島襄という名前は、「にいじまじょう」と読みますが、アメリカから帰国後に改名したものです。
幼名は、新島七五三太と言い、読み方は、「にいじましめた」となります。幼名の由来は、1月14日が、しめ縄を外す日だったため、七五三太と名付けられたようです。女児が続いて最後に男児が生まれたため、祖父が「しめた」と叫んだことから、「七五三太(しめた)」と命名されたとも言われています。
一度、聞いただけで覚えてしまう名前です。公園は、高層ビルが立ち並ぶ中にあります。緑の木々の中には、静かにせせらぎが流れています。ベンチに座って、ゆったり、休息することができます。
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少し、この地域を散策するのも楽しいひと時になります。
大手町に近い鎌倉河岸跡=下の写真=もそんな場所のひとつです。天正18年(1590年)、徳川家康が江戸に初めて来た頃、この河岸には、魚や野菜の生鮮食品、材木、茅、薪などが荷揚げされたそうです。
江戸城築城の時、鎌倉から石材が荷揚げされたため、この名前が付いたとも言われています。江戸、明治、大正、昭和と時代を経る中で、ずっと、水上交通のターミナルでした。
江戸時代、この河岸には、豊島屋十右衛門という酒屋があり、ひな祭りの白酒は人気を呼んだと言います。どんな味か飲んでみたくなります。
まとめ
神田錦町や大手町などを、ゆっくり時間をかけて歩くといいでしょう。気ままな小さな旅ですが、江戸から現代に至る街の歴史を学ぶことができて、しばしの、豊かな時間になります。
トップの写真は、学士会館にある「新島襄生誕の地」の記念碑
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