
海抜2.3メートル? 東京・丸の内で、地下鉄・大手町駅の出入り口にあった、こんな掲示板を見て、驚きました。随分、低地だな、というのが第一印象でしたが、その不思議さは、かつて、この一帯が日比谷入江で、そこが埋立てられたということを知って解けました。日比谷入江の埋め立てはいつ行われたのでしょうか。日比谷入江についてまとめました。
海抜2.3メートル? 江戸には日比谷入江が! 埋め立てはいつ?
九段下野田安門のところに灯台(明治初期に建てられたそう)があるのだけれど、当時は本当に灯台の役目を果たしてたそうだ。江戸時代は海岸線が江戸城のこんな近くまで海だったんだねぇ。我らが駿河台も海まで徒歩圏内。日比谷入江とかは江戸初期に埋め立てられたらしいが。https://t.co/KDNts4gVTw pic.twitter.com/H4by1Nn91l
— 堀田秀吾@明治大学法学部教授(法と言語と心理と脳科学) (@syugo_h) November 3, 2024
1枚の地図が如実に歴史を物語っています。
「江戸・東京88の謎」(春日和夫著)などによると、現在の日本橋から東京駅、有楽町にかけての一帯は、「江戸前島」と呼ばれ、海面すれすれの半島状の中州だったのだそうです。
この西側には、日比谷入江と言われる大きな入江があり、その一番奥の陸地に、江戸城があったのだといいます。
江戸時代の初め、徳川家康の命によって、神田山が崩され、その土砂で、江戸前島と日比谷入江が埋立てられました。この結果、現在の丸の内、大手町、皇居外苑などにあたる地域が陸になりました。
今も、佃島はありますが、地図を見ると、江戸時代には、この佃島が江戸湊(東京湾)の中でポツンと孤立しているのがわかります。この地図を見て、現在の地形を思い浮かべると、地理の変遷がわかります。東京は埋め立てで、姿を変えてきました。
江戸時代の地図(地形)は現在と違っていたことがわかり、勉強になりました。
まとめ
東京臨海部の埋立時期。
近代では、月島、勝どき、芝浦が100年以上前の明治・大正時代で、
晴海、海岸、港南、天王洲、豊洲、東雲、有明などは昭和初期で完成。江戸初期〜
1590年(天正18):現・千代田区日比谷入江等(城周り堀割りの残土)江戸湾埋立が開始… pic.twitter.com/M69YjAvFcp— 東京🗼Diffusion (@MTH_Tokyo) July 26, 2025
海抜2.3メートルの掲示板は、歩かないと、なかなか目にすることはできません。この掲示板は津波の危険性を警告するために建てられたと思われますが、同時に、歴史の事実や変遷を明確に示す「証言者」ともなっています。このような「証言者」をもっともっと、見つけていくと、歴史を訪ねる、充実した小さな旅になります。
江戸・東京88の謎 (だいわ文庫)
古地図で大江戸おさんぽマップ (ブルーガイド)
図説 東京の今昔を歩く!江戸の地図帳 (青春新書INTELLIGENCE)
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